――そんなとき、『さらば国分寺書店のオババ』(1979年)でデビュー。本は大ヒットし、注目の存在になった。それでもすぐに会社勤めを辞める気にはなれなかったという。

 この本はたまたま売れたけど、先のことはわからないから、スッパリ会社を辞める決心はなかなかつかなかった。ふたりの子どもはまだ小学生だったしね。

 でも、おっかあ(妻)に「辞めようと思うんだけど」って相談したら、あっさりと、「そうね。今の日本だったら飢え死にすることはないからいいんじゃない。人生はお金じゃないしね」と言ってくれたんです。それで気持ちが固まりました。

 あのまま我慢して勤め続けていたら、社長になっていたのかな。苦手な金勘定で頭を悩ませなきゃいけないし、僕みたいに生意気な若いのが入ってきたらなかなかたいへんです。会社の経費で銀座のクラブには通えたかもしれないけど、たいして楽しい場所でもない。

 いや、あの古参のふたりの意地悪に嫌気が差して、遅かれ早かれ辞めてたかな。精神的にヘンになって、失踪かなんかしてたかもしれない。辞めることにあっさり賛成してくれたおっかあには、感謝しています。

――作家、椎名誠の人生は、妻(エッセイストの渡辺一枝さん)の存在なしには語れない。出会ったのは、21歳のとき。23歳で結婚し、今年5月に金婚式を迎えた。椎名は「ほかの人と結婚していたらとは、今まで考えたことはなかったけど、別の人生になっていたでしょうね」と語る。

 作家になって一番うれしかったのは、「日中共同楼蘭探検隊」の一員として、中国シルクロードの古代遺跡、「楼蘭」を訪れたことです。子どものころ、楼蘭が舞台の探検記『さまよえる湖』を読んで、ずっと行きたいと思っていた。

 楼蘭に深くのめり込んだのは、おっかあの影響もあるんです。結婚前にいろいろ話していたら「ヘディン」(『さまよえる湖』の著者スウェン・ヘディン)という名前が出てきた。「『さまよえる湖』の?」って聞いたら、大好きで読んでいるって言うからビックリしてね。それまでまわりにヘディンの話ができるヤツなんていなかった。ずっと読みたかった白水社の「西域探検紀行全集」も、知っているどころか「私、持ってます」って。

■ヨコシマな気持ちもほんのちょっと

 彼女の家に行ったら、全集はもちろん、チベットやモンゴルに関する貴重な本が山のようにある。驚いたねえ。この人と結婚したら、半分は俺のものだなっていうヨコシマな気持ちが、ほんのちょっとあったかもしれない。

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