椎名誠(しいな・まこと)/1944年、東京生まれ。作家、映画監督。辺境を旅する人としてルポの執筆やテレビのドキュメンタリー番組などにも多数出演。89年に『犬の系譜』で第10回吉川英治文学新人賞受賞。90年に『アド・バード』で第11回日本SF大賞受賞。96年に映画「白い馬」で日本映画批評家大賞監督賞受賞(翌年フランスやポーランドの映画賞を受賞)。最新刊は、本の魅力を伝えるエッセーを集めた『本の夢 本のちから』(新日本出版社)(撮影/片山菜緒子)
椎名誠(しいな・まこと)/1944年、東京生まれ。作家、映画監督。辺境を旅する人としてルポの執筆やテレビのドキュメンタリー番組などにも多数出演。89年に『犬の系譜』で第10回吉川英治文学新人賞受賞。90年に『アド・バード』で第11回日本SF大賞受賞。96年に映画「白い馬」で日本映画批評家大賞監督賞受賞(翌年フランスやポーランドの映画賞を受賞)。最新刊は、本の魅力を伝えるエッセーを集めた『本の夢 本のちから』(新日本出版社)(撮影/片山菜緒子)

 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は作家の椎名誠さんです。

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■まだ遅くはないという気持ちがどこかにあるんです

 気が付いたら、何でも売っているスーパーマーケット的な作家になっていました。薄利多売です。狙ったわけじゃないけど。

 90年代は映画制作にのめり込んで、何本か世に送り出しました。ヒットした作品もあったし、それなりの評価も受けた。「せっかく物書きとして脂が乗っているときに、映画なんて」ってさんざん言われたけど、やりたかったんだから仕方ない。そのまま映像の道に進むのもいいな、新しい扉が開かれたかもしれないなんて思っていました。

 ただ、思い出したくない嫌な出来事があって、映画はすっぱりやめました。でも、周囲に言わせれば「椎名は何をやっても10年しか続かない」ってことらしいから、潮時だったのかもしれません。幸い文章を書くことと焚火は、いっこうに飽きる気配もなく、長く続いていますね。

――エッセー、旅行記、SF小説など、作品のジャンルは幅広い。単行本は、約270冊を数える。取材やドキュメンタリー番組の撮影で、世界のあらゆる場所を訪ね、一つの場所に長く留まらないイメージが強いが、30代半ばまでは会社勤めをしていた。

 流通の業界誌を作る会社に22歳で入社して、まあまあ楽しくやってたんです。30人ぐらいの小さな会社でした。27歳で役員になって、社長からは「次はお前だ」と言われてました。雑誌作ってるほうがいいけどなあと思って聞いてたんですけど。

■古参のいじめにアホくさくなった

 でもねえ、若造が目立ってるもんだから、古参の役員ふたりがチクチクといじめてくるんですよね。役員会議のたびに難癖つけてきて、口論になってコップの水をぶっかけたこともあります。いちばん腹が立ったのは、役員ごとの収益を社長に報告するときに、僕の担当している仕事が全体の約半分の利益を上げているのに、それを二重帳簿か何かでごまかして、その大半を自分たちの利益にしていた。なんかもうそんなことが、アホくさくなっちゃってね。

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