林:原田さんは絵を見た人の感動のシーンが非常に素晴らしくて、これはアートをやってた方じゃないと書けないなと思いますよ。普通の作家はとても太刀打ちできないから、うらやましいです。

原田:ありがとうございます。

林:原田さんはもともとキュレーター(学芸員)だったんですね。

原田:はい。森美術館(六本木ヒルズ森タワー内の美術館)のキュレーターをしていました。私がいたのはちょうど立ち上がりのときで、準備室の所属だったんです。都市としてどうつくっていくかというところから入ったので、かなり特殊な美術館だったと思います。

林:原田さんの師匠は小池一子さん(クリエーティブディレクター)ですよね。私がコピーライターをやってたときに西武・西友関係のお仕事をさせていただきましたが、田中一光さんと小池一子さんは、もうほんとにキラキラしてました。

原田:ちょうどそのころ、小池さんが、美術館でもギャラリーでもない、日本初の非営利のオルタナティブスペースを始められたころで。私は現代アートかぶれだったので、小池さんに憧れて、飛び込みで「働かせてください」って直訴したんです。

林:おいくつのときですか。

原田:24歳のときです。森ビルに入る10年ぐらい前かな。そしたら「併設のカフェでアルバイトしてみたら?」と言われて、週末だけカフェでウェートレスのアルバイトをするかわりに、展覧会をタダで見せてもらってました。ちょうどそのころ、馬里邑という制服を作る会社が原宿で美術館をつくるという貼り紙を街で見かけて……。

林:有名なお洋服屋さんですね。

原田:はい。私はどうしてもアートの仕事をしたいと思ってたので、また飛び込みで行って、「私を雇っていただけませんか」と直訴したんです。そしたら度胸を買われて、社員になることができて。企画と広報もやらせていただきました。

林:原田さん、伊藤忠にもいらしたんでしょう?

原田:はい。馬里邑の仕事を捨てて、下北沢のアートマネジメントスクールに無給で飛び込んだことが、伊藤忠につながるきっかけなんです。

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