■九代 林家正蔵/祖父 七代目 林家正蔵

 祖父は父が所帯を持つ前に亡くなりましたから、実は直接的な思い出はないんです。でも僕が25歳ぐらいのころに祖父の高座の映像が見つかり、初めて動く姿を見ました。感想は「親父は苦労しただろうな」。「相撲風景」という落語をやる3分半ほどのものでしたが、すごさが伝わってきた。今の時代に高座にあがっても、爆笑をとると思いますよ。そういう師匠を持った父のプレッシャーは相当なものだったと思います。私は16歳で父に弟子入りし、その2年後に父が亡くなりました。親子の会話をする余裕はありませんでしたから、父から祖父の話を聞いたことはないんです。“こぶ平”の名前を大きくすることしか考えていなかったので、正蔵襲名のお話には驚きました。襲名後も落語に対する思いは変わりません。でも、祖母が生きていたら喜んでくれたと思いますね。祖母はよく、「アンタのおじいちゃんはスゴい落語家だった」と言っていましたから。

■金田一秀穂/祖父 金田一京助

 祖父・京助は、いわゆるグリット(やり抜く力)を持っていたのだろうと思います。端から見れば、非常な努力家。しかし、家族からすると困り者。そして、とても幸運に恵まれた人でした。自分のやりたいことをやって、押し通せた。そういう生き方のできる人で、周りもそれを何とか理解していたようです。

 私がよく知っているのは晩年の祖父です。ごく普通の“ぼけ老人”で、とても甘いカルピスを飲まされたり、中学生の私にたばこをすすめたり、私が誰なのかわかっていませんでした。

 認知症になる前の祖父には、あまりかまってもらった記憶がありません。孫のことよりも他にやりたいことがいっぱいあったのだろうと思います。

 亡くなって40年以上たつ今も、アイヌとか石川啄木とか盛岡とか、いまだに祖父がらみの仕事を頼まれることがあって、ありがたいことだと思っています。

(取材・構成=野村美絵、鈴木裕也[本誌])

週刊朝日  2018年9月21日号