引退のあいさつで涙ぐむ宮里藍 (c)朝日新聞社
引退のあいさつで涙ぐむ宮里藍 (c)朝日新聞社
著名人50の名言に学ぶ 1/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 1/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 2/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 2/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 3/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 3/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 4/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 4/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 5/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)
著名人50の名言に学ぶ 5/5 (新聞各紙の記事、『読売巨人軍75年史』『私の履歴書』『アントニオ猪木自伝』などから編集部作成/週刊朝日2018年9月21日号より)

 平成の歌姫と呼ばれた安室奈美恵や、2千本安打を遂げた広島の新井貴浩ら、一時代を築いたスターが今年引退する。ステージの大きさこそ違え、引退、離職、異動、退職などの“引き際”は、だれにでも訪れる。そのときにどう気持ちを整理し、思いを伝えるか。著名人の名言に学びたい。

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 9月16日に引退する安室奈美恵(敬称略、以下同じ)は、前日15日に出身地沖縄で一夜限りのライブを開く。最後のツアー映像を収めたDVDとブルーレイディスクは8月末の発売以来、早々と100万枚を突破するミリオンセラーに。40歳、デビュー25周年の節目の昨年9月に、1年後の引退を表明していた。

 5日に今季限りでの引退を発表したのが、広島の新井貴浩。プロ20年の大ベテランで、チームの精神的支柱。「若手がすごく力をつけている。これからのカープを考えたときに今年がいいんじゃないかなと考えた」と述べた。

 スターならずとも、だれもが大小様々な局面で向き合う引き際。では、どんなあいさつをすると、周りの人の心に響くのだろうか。

「あがり症克服協会」理事長で、スピーチ塾講師を務める鳥谷朝代さんは「短く簡潔に。長いのはダメ」と強調し、こう続ける。

「スピーチが苦手な人に限って長い。原稿を見ると、A4用紙4~5枚もあるのに、本人は『もっと言わなきゃ』と思っています。一般的なスピーチは1分以内をめざす。かなり短い時間なので、本当に言いたいことだけを盛り込みます。長い人は『ご指名ですので』『僭越ながら』のような余計な前置きが多いのです」

 簡潔で流暢に話そうと、例文集を丸暗記する人がいる。しかし、自分の言葉でないから、不自然で違和感が残る。第一印象を良くしようと出会いの言葉に気を配る一方で、別れの言葉は気遣いを怠る人もいる。その日を最後に会わない人が多いからだろうが、それだけに人間性がにじむ。

「立つ鳥跡を濁さずというように、恨みつらみはNG。イヤな仕事だったとしても、仕事のおかげで成長できたと言い換えましょう。別れのあいさつはその人の印象を決定づけるかもしれません」(鳥谷さん)

 引き際のあいさつで、感極まり言葉に詰まる人もいるだろう。「間」があくことは良い印象を与えるハプニングとなることもある。

「流暢ならば良いというものではありません。流暢な人はたくさんいますが、心に残るスピーチは難しいです。言葉は短いほうが効果的で、キャッチーな言葉が心に残ります」と話す。

では、著名人はどんなメッセージを残しているか。著名人の語りに耳を傾けたい。

 長嶋茂雄の「わが巨人軍は永久に不滅です」や、キャンディーズの「私たち、普通の女の子に戻ります」は歴史的な引き際の名言。こんな言葉は簡単に残せないが、素朴でも心がこもった表現ならば印象に残る。

 マサカリ投法で知られた元ロッテの村田兆治は「私の人生の喜びも悲しみもすべてこのマウンドに」と伝え、元中日の山本昌は「世界で一番幸せな野球人生」と振り返った。マラソンの高橋尚子は「自分の中では完全燃焼して、さわやかな気持ちです」。いずれも飾らぬ言葉で、長年打ち込んだことへの思いが表れた。

 鳥谷さんが指摘する、「間」を実感するあいさつは、元横綱千代の富士の引退会見。涙声で「体力の限界……」と感極まり、少し間があいて、「気力もなくなり引退することになりました」と声を絞り出した。

 選手の引き際の言葉は引退宣言だが、多くの社会人は異動や退職のあいさつになる。周囲への感謝の思いが欠かせぬ点は同じだ。

 元中日の星野仙一は「打倒読売でやってきた私の姿をファンは支持してくれた」と周囲に目を向け、元西武の清原和博は「一番の僕の心の支えは、ファンの皆さんのあたたかい声援と拍手」とお礼を伝えた。元広島の衣笠祥雄は「野球をやってきたおかげで多くの人と知り合うことができた」。女子ゴルフの宮里藍は「引き際のさみしさより、サポートしていただいたたくさんの方への感謝の気持ち」と口にした。

 数字をうまく使うことも、印象的な引き際を演出する。

 50代で芸能界を引退した上岡龍太郎は「ボクの芸は20世紀で終わり。21世紀からは新しい人生。この道、40年やればいいじゃないですか」と軽妙な語り口。桂歌丸はテレビ番組「笑点」の司会を退く際、「50年間、しゃかりきになってやってきた」と伝え、元巨人の桑田真澄は「21年間、ともに歩んできた(背番号)18番とお別れ」と宣言した。(横山渉)

週刊朝日  2018年9月21日号より抜粋