その後、モーターサイクル事故をきっかけにウッドストックに引きこもったボブ・ディランの後を追って、ロビーや残る3人は同地に移住。リック、リチャード、ガースが本拠とした“ビッグ・ピンクの地下室”でディランも加えてセッションを繰り広げ、ディランのオリジナル曲、ディランとメンバーとの共作曲が生まれた。その一部はディランの新曲として各方面に手渡され、ヒット曲も生まれたが、デモ作品の一部は海賊盤に収録されて流出。後に主要作が『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』として公式発表され、ほぼ全容を収録したコンプリート盤も発表された。

 ザ・バンドのデビュー・アルバム制作も、この地下室でのセッションを発端として始まった。ディランとの共作曲が収録されているゆえんだ。ディランにはアルバムのカヴァーの絵も依頼し、話題を集めた。

 デモ・テープ制作時点で、起用したスタジオ・ドラマーの音に納得できず、リヴォンが呼び寄せられ、5人組として再スタートを切る。本格的な録音はジョン・サイモンを制作に迎えてニューヨーク、次いでハリウッドでも行われた。

 発表当時、音楽誌でも高い評価を得たが、アルバム・チャートは30位止まり。シングル・カットされた「ザ・ウェイト/アイ・シャル・ビー・リリースト」も63位が最高位だった。ただ、同シングルは、映画『イージー・ライダー』に使われ、多くのミュージシャンにカヴァーされたため注目を集めた。

 私がこの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を入手したのは、日本に輸入盤が届いてからのことだ。初めて聴いた時、その斬新な音に衝撃を受けたのをよく覚えている。

 アルバムの幕開けには、ヒット曲やリズミックな曲を配置するのが一般的だが、このアルバムは違った。物静かで穏やかなスロー・ソングに始まり、当時の最新のロック・アルバムでは定番だった長尺の曲や延々と続くソロ演奏はなかった。ギター演奏は簡潔で、ピアノ、オルガンなどキーボードをフィーチャーしたアンサンブルを主体とし、アルバム全体が厳かな雰囲気に包まれていた。

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アルバムで彼らが意図したものとは?