1968年にアルバム・デビューし、70年代半ばまでロックシーンで活躍したザ・バンド/Photo-(c)-Elliott-Landy-www-elliottlandy-com
1968年にアルバム・デビューし、70年代半ばまでロックシーンで活躍したザ・バンド/Photo-(c)-Elliott-Landy-www-elliottlandy-com
『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク<50周年記念スーパー・デラックス・エディション>』(ユニバーサル UICY-78844)には、CD、ブルーレイ、2LP、7インチシングルがつく。通常盤(同 UICY-15753)はCDのみ。CDには、2000年のリマスター盤で追加収録された6曲のボーナス・トラックも収録されていて、これらのミックスも改められている
『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク<50周年記念スーパー・デラックス・エディション>』(ユニバーサル UICY-78844)には、CD、ブルーレイ、2LP、7インチシングルがつく。通常盤(同 UICY-15753)はCDのみ。CDには、2000年のリマスター盤で追加収録された6曲のボーナス・トラックも収録されていて、これらのミックスも改められている

 ザ・バンドのデビュー・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』の発表から半世紀がたったのを受け、8月末、同アルバムの50周年記念エディションが発売された。オリジナルの4トラック・アナログ・マスターをもとに新たなステレオ・ミックスを施している。オリジナル盤に親しんできた往年のファンが驚きや戸惑いを隠せない仕上がりだ。

【CD、ブルーレイ、2LP、7インチシングルがついた、デラックス・エディションはこちら】

 オリジナル盤が世に出たのは1968年7月1日。当時、先鋭的なロックをめざしていたミュージシャンたちに衝撃をもたらした。

 アル・クーパーは音楽誌で“画期的な成果”と絶賛。エリック・クラプトンはザ・バンドの音楽を聴いて“クリームを辞めることを決意”しただけでなく、ザ・バンドに加入したいとさえ考え、ウッドストックまで出かけたものの、彼らに声をかける勇気を持ちあわせていなかったという事実を後に明かしている。

 ジョージ・ハリソンも後年のザ・ビートルズの不協和音から逃れてウッドストックにザ・バンドを訪ね、メンバーのリヴォン・ヘルムが歌うことを想定した曲もつくった。ポール・マッカートニーは名曲「ヘイ・ジュード」の終盤にザ・バンドの「ザ・ウェイト」の歌詞を引用した。

 ザ・バンドは、米アーカンソー州の出身で主にカナダで活動したロカビリー・シンガーのロニー・ホーキンスのバックバンド、ザ・ホークスを母体に生まれた。

 当初はアメリカ出身のミュージシャンで構成されていたが、リヴォン以外のメンバーが帰郷したためにカナダ出身のミュージシャンを相次いで起用。ロビー・ロバートソン、リチャード・マニュエル、リック・ダンコ、ガース・ハドソンにホーン奏者などが参加した。その主要なメンバーだった5人はその後、ロニーと別れ、R&B/ブルースを演奏するバー・バンドのリヴォン&ザ・ホークスとして活動。次いでボブ・ディランのツアー・バンドに起用されて表舞台に立った。だが、フォークからロックに転向したディランを非難する観客の反応に耐えきれず、リヴォンが脱退する事態も招いた。

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小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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