――女優生活82年。常に第一線を走り続け、テレビの草創期から活躍してきた。しかし、大きな心残りがある。

 こんなに長くやってるのに、私には「代表作」がないの。そのときそのときで、いいお仕事はいただいてきたんだけどね。いちばん尊敬している杉村春子さんにとっての「女の一生」みたいに、中村メイコといえばこの作品みたいなのがないのよね。天国に持っていく手土産がないのは、寂しい限りです。

 紅白の司会を3年やったのはすごいことよって言われるけど、あんなの役でも何でもない。早く帰りたいとしか思ってなかった。

 でも、3人産んで育てるというのは、女優としては珍しかったかもしれないわね。神津さんや子どもたちも含めて、家族の様子をみなさんに見てもらってきたわけだし。

 それは壮大なドラマでも何でもなく、自分も家族も毎日を一生懸命に生きてきただけ。私にはそうするしかできなかった。「中村メイコ」という役が、多少なりとも世の中のみなさんに楽しんでもらえたんだとしたら、ありがたいことよね。

――80歳のとき、敷地130坪の大邸宅からマンションに転居し、2トントラック7台分の荷物を断捨離した。最新刊『もう言っとかないと』の帯には、「あとは死ぬだけ」という言葉が書かれている。

 断捨離してすごく楽になった。心残りがなくなりました。

 年齢を重ねるにつれて、死ぬことに対する思いは、徐々に変わってきましたね。怖いとか嫌だとかではなく、「もうすぐ来る当たり前のこと」になってくる感じかしら。

 2年後に東京オリンピックっていう、いいあんばいの大きなイベントがあるじゃない。けさも神津さんと「私たち、あれを見るのは無理よね」って話してたの。半分冗談だけど、半分は本気。あれをケジメにしたいって言うことが、東京っ子っぽいカッコのつけ方なの。

 今のところ2人とも何の病気もないから、オリンピックもこの目で見ることができちゃうかも。競技場に行くのはもう無理ね。テレビという便利なものがあるから、それで観戦するわ。テスト放送から出させてもらって、何でもいちばん最初にやってきた生粋のテレビっ子としたら、東京でやるオリンピックを2度もテレビで楽しめるなんて、すごくうれしいことよね。

 あら、なんだか楽しみになってきちゃったわ。

(聞き手/石原壮一郎)

週刊朝日  2018年9月14日号