――父親は作家の中村正常。その“血”を受け継ぎ、エッセイストとしても評価が高く、数多くの著作がある。作家を志したこともあった。

 今思うと、恥ずかしいですね。若気の至りとはまさにこのことですね。本を読むのも書くことも好きだったから、いろんな雑誌に書かせてもらっていたんです。

 20歳のときに『ママ横をむいてて』っていう小説の単行本を出しました。川端康成さんが帯文を書いてくださったこともあって、そこそこ売れたんです。映画にもなりました。

 でも、週刊誌の書評欄で、そうだ週刊朝日さんよ、作家の平林たい子先生に酷評されちゃったの。こんなものは文学でも小説でもないって。もうボロクソ。

 それを読んで、「こんなにけなされちゃったよ、パパ」って父に泣きついたんです。そしたら「当たり前です。プロとして小説を書くというのは、簡単なことではありません。さすが平林さんは、いいことを書いてくださった」って突き放されて、また大泣き。すっかりショックを受けて、作家の道は諦めました。

 ただ、この話には続きがあるんです。父は、週刊朝日の当時の編集長の扇谷正造さんと知り合いだったんです。何年かたってから扇谷さんに「困ったよ。君のパパが怒鳴り込んできて」という話を聞きました。「娘の小説が力不足なのはわかっているが、こんなふうに書かれたら傷つくし、若い芽を摘むことはないじゃないか」なんて言ってたそうです。扇谷さんは「中村正常も親バカなんだな」って笑ってらしたけど、私は父の意外な一面を知って感動しちゃいました。

 平林先生にも、何年か後にテレビ番組で対談させてもらったんですが、そのときに「その節ははっきり書いていただいてありがとうございます。おかげで道を誤らずに済みました」ってお礼を言ったんです。皮肉ではなく、本心ですよ。

 そしたら平林先生は「あら、そんなこと言いましたっけ。ごめんなさい」って。父がどう言っていたかを気にしてらして、「当たり前です」って言われましたと伝えたら、静かにうなずいてらっしゃいました。

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