武田:その第三者がいないまま、テレビから常に整理された情報が一方的に流れてくる。その仕組みに、すっかりノーガードになってきているのではないかと。

いとう:同調圧力みたいなね。あとナンシーの場合、週刊誌というメディアの中でも、すごく遠くを見て書いてるから、10年、20年たって読んでも「これって全然いまだよね」って思ってしまう。それがなぜかはわからないけど、書くということや書く人に対する尊敬をずっと持ち続けていたんじゃないかな。

武田:ブラウン管の中にいる人たちと、自分との距離を均等に保ったまま書いていた。ナンシーさんって、梨元勝や須藤甚一郎のような、いわゆる芸能リポーターに厳しかった。本来は芸能界と視聴者のあいだに立つ役割であるはずが、結局、体が芸能界を向いている。今なら、井上公造という人がそうですね。自分がいかに当人と近い距離にいるかを誇らしげに語る。体の向きや距離のとり方に厳しいナンシーさんはこれを見逃さなかったでしょう。

 改めてナンシーさんのコラムを読んで気づくのは、サッカーW杯に熱狂する群衆の気持ち悪さであり、24時間テレビの「感動をありがとう」に代表される感動の爆発への警鐘です。テレビが作る過剰な空気を察知し、疑っていた。

いとう:ナンシーは絶対に中に入ろうと思わなかった人だから。テレビもずっと断っていたしね。「出ると向こう側の人間になっちゃうから」ってよく言ってたよ。「友達になっちゃったら書けないじゃん」って。そういう意識はすごく高かったんだよね。すごくストイックだった。

武田:とにかくテキストが濃厚。『秘宝耳』の文庫の解説で、いとうさんが「配管工がボルトで管をつないでいくような」と形容されていましたけど、どこまでも精密で屈強なんです。

いとう:そうそう、そういうイメージ。作業服着て書いてる感じ。あるいは棟方志功というのか、そうやって書かれたエッセーの数々だから。でも一日中、ずっとそれやってるんだもん。モニターふたつ同時に見たりしながら。その様子はまるで“病人”なんですよ。近ごろ、ああいう“いい病人”ってほんといなくなっちゃったんだけど。

(構成/河尻亨一[銀河ライター])

週刊朝日  2018年8月17-24日合併号