渡辺元智・横浜高前監督(左)と、中村順司・PL学園元監督(撮影/写真部・小原雄輝)
渡辺元智・横浜高前監督(左)と、中村順司・PL学園元監督(撮影/写真部・小原雄輝)
高校時代はストレートとカーブしか投げなかった桑田(左)。第67回大会決勝でこの日2本目に放った清原の同点本塁打は、今も語りぐさとなっている (c)朝日新聞社
高校時代はストレートとカーブしか投げなかった桑田(左)。第67回大会決勝でこの日2本目に放った清原の同点本塁打は、今も語りぐさとなっている (c)朝日新聞社

 100回目を迎える夏の全国高校野球選手権大会がいよいよ始まる。幾多の名勝負が繰り広げられてきたが、高校野球を振り返るとき、忘れてはいけない名将がいる。渡辺元智・横浜高前監督と、中村順司・PL学園元監督だ。二人に「あの夏」を語り合ってもらった。

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──PL学園の桑田真澄選手と清原和博選手のKKコンビが有終を飾った1985年夏の第67回大会決勝の対宇部商(山口)戦ですが、渡辺さんは朝日放送テレビの解説をされていたんです。

中村:それは知りませんでした。この夏は初戦の東海大山形戦が29‐7でした。選手たちの原点は春の選抜大会なんです。桑田真澄、清原和博がいよいよ3年生になって最初の大会なのに、準決勝で伊野商(高知)に負けたんですね。清原は渡辺智男投手(元西武)に3三振食らって、泣きながら道具を片付け甲子園を後にしたんです。

渡辺:いい選手がそろっていても勝つとは限らないのが高校野球ですね。

中村:すぐ寮に帰ってミーティングをしました。30分ほどしたら室内練習場で金属音がする。清原が上半身裸になって打ち込んでいたんです。そういうことがあって迎えた甲子園なんで、選手は試合をしたくてウズウズしていたんです。

渡辺:中村さんが選手を信頼されているから、選手は中村さんの教えをとり入れながら、自分でどんどん努力する。その中から、あれだけの素晴らしい選手が育っていったんでしょう。

中村:いやいや、そんなことはありません。気をつけたのは、特定の選手をチヤホヤしないこと。桑田は入学当時は細かったし、体も大きくない。自分はどうしたらライバルに勝てるかを考えたようです。ただ、キラリと光るものがあった。遠投をさせたら、80メートルぐらいスーッと伸びていくボールを投げたんです。清原も投手としては桑田にはかなわないと感じたそうです。

渡辺:清原君がスーパースターたるゆえんですね。ライバル、仲間を認めることができる。一流は一流を知るですな。

中村:ピッチャーとバッターだったからよかったんでしょうね。桑田は1年夏の準決勝で池田(徳島)を完封するんですが、うちが先に4点をとったのが大きかった。強力打線の焦りを誘うように、うまくカーブでタイミングを外したんです。たしかバントも含めて内野ゴロ併殺を3個とりましたよ。そのあたりの投球術は松坂大輔君(現中日)も持ってましたよね。

渡辺:そうでしたね。相手がバントをしてきたら内角高めに投げてバントをやらせないとか、逆に強いバントをさせてアウトにするとか。そういう投球ができる投手でした。

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