――テレビ番組「笑点」で、「毒蝮三太夫」の襲名披露をしたのは、1968年12月のこと。それまでは、俳優の「石井伊吉」としてテレビドラマを中心に活動していた。「ウルトラマン」シリーズでは科学特捜隊やウルトラ警備隊の隊員を演じた。

「笑点」では座布団運びをやっていて、そのころはまだ石井伊吉で「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」に出てたわけだけど、局に苦情が来るんだよ。正義の味方がお笑い番組で座布団を運んでいるのはどういうことだ、ってね。「ウルトラマン」のTBSにも「笑点」の日テレにも。

 だから、座布団運びのときの芸名ってことで、番組の中では「毒蝮」って呼ばれてたのが、とうとう正式に毒蝮になっちゃった。

 名づけ親は談志(立川談志)と五代目圓楽(三遊亭圓楽)さん。談志とは学生時代に知り合って、やけにウマがあってしょっちゅうつるむようになったんだよな。

 襲名披露の7年ぐらい前から、談志は俺をずっと口説き続けてたんだ。「楽屋ではあんなに面白いのに、役者をしたら普通で終わっちゃう。それはもったいない。スタンダップコメディアンになれ」って。俺の適性を見抜いてたんだね。

 寄席や余興に連れていって、師匠たちに紹介して、いきなり「10分しゃべれ」って言うんだよ。俺を試してたんだろうな。

「役者やめて、もししゃべりの道で食べられなかったら、俺が生活の面倒を見てやる」って。当時の談志の人気は飛ぶ鳥を落とす勢いで、落語界でも一目置かれる存在だった。その談志がそこまで言ってる。有言実行で、自身が立ち上げた「笑点」で、座布団運びというチャンスも俺にくれた。こいつは本気なんだな、じゃあやってみるか、それが男としての仁義だって思ったんだよ。

 結局は、俺は番組で正式に毒蝮になって、それから談志が番組を降りちゃうんだけど、そのとき俺も一緒に辞めた。これも仁義かな。日テレは「ウチの番組で付けた名前だから、ほかの局で使ってもらえないよ」なんて言いやがってさ。脅迫だよな。冗談じゃねえよって思った。

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