永六輔さん (永麻理さん提供)
永六輔さん (永麻理さん提供)

 昭和とテレビは、この人なしには語れない──「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」などのヒット曲の作詞を手がけ、「夢であいましょう」をはじめとする番組の構成作家として活躍した永六輔さんが、2016年に83歳で亡くなって2年。娘の永麻理さんが、遺品のアルバムを整理するために朝日新聞社のサービス「ニッポン写真遺産」でデジタル化した、まさに“遺産”と呼ぶべき写真の数々から、草笛光子さん、梓みちよさんが語る思い出とともに、その足跡を振り返る。

【特集】お宝写真で振り返る 永六輔の軌跡

(1)1961年10月発売の「上を向いて歩こう」大ヒットの直後、坂本九さんと、作曲家・中村八大さんと。「アサヒグラフ」1962年新年合併号に掲載された座談会で撮影されたもの。3人で集まるのはこのときが初めてだったという。同曲は63年に米ビルボード誌で「SUKIYAKI」の名で週間1位を獲得、アジア圏初の快挙となった。現在も日本人唯一の記録となっている

(2)草笛光子さんと。永さんが構成作家として参加し、1958年から放送された「花椿ショウ・光子の窓」収録現場で。草笛さんに当時の思い出を聞くと、即「オペラと歌舞伎の『勧進帳』」という答えが。カルメンや蝶々夫人などの台本を永さんが書いたのだという。「永さんはパロディーがお上手で、とってもいいものを書いてくださいましたよ。そういう経験をさせてもらったことが、今の私の血となり肉になっています」

(3)「夢であいましょう」「遠くへ行きたい」など多くのヒット曲でタッグを組んだ中村八大さんとは、しばしば海外でも一緒に過ごした様子がアルバムに残されていた。オランダで撮影された一枚

(4)「『こんにちは赤ちゃん』がレコード大賞を受賞しました」とアルバムに書かれた写真。永さんが作詞、中村八大さんが作曲、梓みちよさんが歌った同曲は、1963年11月に発売されるや100万枚を超える大ヒットとなった。「永さんとの出会いがなければ『梓みちよ』という歌手は誕生しませんでした」という梓さん。永さんにいただいた素晴らしい楽曲と思い出を胸に生涯歌い続けます」

次のページ