根が陽気で諦めがよいせいか、前途に希望の持てないがん患者の身でありながら、それがさほど気にならずにいつものように振る舞っているので、他人から明るく元気な健常者と見られているようだ。がんになった当初の頃はよく、仲間うちで集まる会合で私ががんになったと言ってもすぐに理解できないのか、話題がすぐにそれてしまうこともしばしばであった。

■「同情」と「労い」がもっとも嫌

 私は今回の罹病にあたり、同情されたり労わられたりされるのが最も嫌である。そのせいもあって、ごく自然体で振る舞っているのかもしれない。体力、気力の維持こそが病に打ち勝つ唯一の自衛策だと思うだけに、現在の姿勢をできるだけ長く続けたいのだ。抗がん剤の副作用は心身ともにかなりのダメージとなっているが、すい臓がん本体の症状が長いこと現れなかったのも頑張れる要因かもしれない。
 
 厳しい副作用を伴う抗がん剤治療に立ち向かうために、不可欠なことは体力だが、それとともにもう一つ重要なことがある。それは、いかに強い精神力、つまり気力が持てるかが、正面からがんと向き合う際に逸することのできない要素となる。
 
 ある医師に言わせると、がんに罹患したら前向きで諦めない姿勢をもち、「強い気力で立ち向かうことこそ最良の治療」だそうだ。「命を諦めたら、あっという間に失われます」とも付け加えている。諦めればがん細胞を元気づけ、結果、立ち向かう防御細胞群、たとえば白血球やリンパ球の働きが弱くなってしまうからのようだ。
 
 この「生への執着を捨てるな」という言葉は、まさにそのとおりだと思う。私自身、積極的に生を意識して行動しているわけではないが、結果的にはそれにつながっているようだ。がん発覚以降、これまでもしばしば述べてきたように、私は前向きに明るく元気に日常生活を送るように自然としてきた。このような性格に生んでくれた亡き両親にはいつも感謝している。 
 

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自宅をベースに治療ができたことが大きい