教団を批判した週刊誌「サンデー毎日」の連載記事をやめさせるため、毎日新聞社に爆弾を仕掛けようと下見に訪れたり、TBSに押し掛け、坂本弁護士のインタビューを収録したビデオを事前に見て、放送中止を迫ったこともある。

 信徒の田口修二さん殺害事件や坂本弁護士一家殺害事件など、陰惨な事件にも実行犯のひとりとして関与し、サリンプラントの建設も指揮した。

 地下鉄サリン事件から約1カ月後の95年4月19日には、TBSの番組に出演し、教団施設からの生中継でジャーナリストの筑紫哲也、有田芳生両氏のインタビューを受けた。

 坂本弁護士一家殺害事件や仮谷清志さん逮捕監禁致死事件についての関与を聞かれ、「事実と違う」と強く否定しつつも、

「逮捕される理由はないが、今は微罪でも逮捕される状況。そういうことが起きる覚悟はできている」

 と語った。実際に逮捕されたのは、その数時間後だった。

 裁判でも当初は麻原への帰依の心を捨てきれず、97年12月の被告人質問では、「今も麻原被告を信じている。ポアは(殺される)ご本人のためになる」

 と述べていた。だが、坂本弁護士の事件で犯行後に、当時1歳2カ月だった長男龍彦ちゃんの遺体に布団をかけた理由を聞かれた時は、

「寒そうだったから」

 と話し、悲鳴に近い声を上げて、1分近く証言台に突っ伏した。

 かたくなだった態度は、審理が進むにつれて変化した。一審の終盤には「自分たちのしてきたことは地獄をつくり出しただけ」と認め、

「今なお私が人間として存在していることに対し、申し訳無さと恥ずかしい気持ちでいっぱいです」

 と謝罪した。一審では求刑通り死刑判決が下された。控訴審でも判決は覆らず、2009年7月、死刑が確定した。

*「人のために尽くしたい」と出家して2カ月で殺人者に… <教団エリートの「罪と罰」(3)>へつづく

※週刊朝日 臨時増刊『オウム全記録」(2012年7月15日号)