調整派には、後ろ手に持った竹の棒を触角のように振りながら後ろ向きに歩く「ゴキブリ爺さん」や、イヤフォンを耳に突っ込んで大声で歌いながら歩く「演歌おやじ」など、変わった人が多かったが、最近見かけなくなってしまった。

 面白いのは、こちらが出発時刻を変えるのにつれて、すれ違う定刻派の顔ぶれも変わっていくことである。

 たとえば、夏場のアレは四時台の半ばにやってくるから役員さんのバリトンを聞けるのだが、真冬のアレは六時台の後半だから、大センセイが河原を歩いているころには、きっと役員さんはお迎えの黒塗りの中にいるに違いない。

 さて、もったいぶってアレアレ書いてきたが、アレとは日の出の直前の光景のことである。あの精妙で神聖で宇宙そのもののような空気を一度体験してしまったら、ソレを見ずに一日を迎える気にはなれなくなる。

 曙、東雲、未明、早暁、暁、払暁……。表現はさまざまあるようだが、どうもしっくりこない。日の出前後を表す言葉は、どれもこれもカッコよすぎるのだ。

 そんなことを思っていたら、同業のオバタカズユキ氏が「市民薄明」という言葉を教えてくれた。

 なんでも天文学の世界では、薄明を明るい方から順番に市民薄明、航海薄明、天文薄明の三つに分類しているんだそうである。

 立派そうな人だけでなく、変人も、外れ者も包み込んでくれそうな市民薄明という言葉が、大センセイ、大層気に入っている。

週刊朝日 2018年7月13日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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