春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。JFN系FM全国ネット「サンデーフリッカーズ」毎週日曜朝6時~生放送。メインパーソナリティーで出演中です春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。JFN系FM全国ネット「サンデーフリッカーズ」毎週日曜朝6時~生放送。メインパーソナリティーで出演中です
落語家にとって『米朝』といえば…(※写真はイメージ)落語家にとって『米朝』といえば…(※写真はイメージ)
 落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「米朝」。

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 落語家、いや演芸好きにとって、『米朝』と聞けば、まず脳内に浮かぶのは『桂米朝』師匠なのである。言わずと知れた「上方落語・中興の祖」。『米朝会談』『米朝対立』とあれば、当然「え? 米朝師匠が誰と?」となり、『米朝膠着状態』とあれば、「師匠、大丈夫ですか!?」とこちらもドキドキし、『米朝緊張ほぐれる』とあれば、「師匠、なによりです!」と胸を撫で下ろす。アメリカとか北朝鮮の前に、まず尼崎・武庫之荘(師匠の地元)。

 私が米朝師匠にお会いしたのはたった一度だけだ。入門して1年経ったころ、先輩から国立名人会の前座の代わりを頼まれた。国立名人会の楽屋で働く前座はレギュラー制だが、その先輩は自分の師匠の用事で行けなくなったらしい。「米朝師匠がトリだから!」。私はちゃんと聞いていなかった。「○朝」という名前は落語家にけっこう多いので、頻繁に会う東京の○朝師匠だと思い込んでいた。当日、楽屋の木札を見て「米」。思わず絶句。一緒に務めるA兄さんはピリピリしている。前日急に代わりを頼まれたらしい。

「お前、米朝師匠に会ったこと……」「……ないです。兄さんは?」「ないよ……どうしよう」

 ペーペー二人が、上方の超重鎮のお世話をするという重圧。前座の楽屋での仕事は「お茶を出す・着替えの手伝い・出囃子の太鼓を叩く・着物を畳む」などなど。

 
「米朝師匠のお茶の好みは?」「知りませんよ」「着替えの手順は?」「……知りませんよ」「出囃子の太鼓叩ける?」「出囃子は文蔵師匠と同じですね?」「叩ける?」「太鼓は兄さんの係じゃないですか!」。太鼓は先輩前座が叩くのだ。「俺、太鼓苦手」「……使えねーなー」「俺、先輩だよ!」「着物は?」「畳み方がわかればできますけど……」。落語家の着物の畳み方は一門により異なったりと、ややこしいのだ。

『とにかく一生懸命!』というスローガンを掲げる二人。正直、この日に限って他の出演者は眼中にない。米朝師匠、マンマークだ。まさにトランプと金正恩をむかえるシンガポールの心持ち。

 開演して1時間。ついにトリの米朝師匠が楽屋入りされた。お付きの方が5、6人! 「おはようございます!」。二人で大きな声でご挨拶。「はい、ご苦労様」と師匠。これで終了……というのも、お付きのお弟子さんが師匠に関わる全てのことをやってくれたから。挨拶以外やることがない。何もやらせてもらえなかったというほうが正しいか。「こちらでやりますんでお気遣いなく」=「わしらの国宝に触るなや」。決してそんなことは言ってないのだが、卑屈な野良犬2匹にはそう聞こえた。寂しい1割、でもホッとしたの9割。遠巻きに指をくわえて国宝を見つめるのみ。ただ、その佇まいの品が半端ない……。かっこいい。うっとりしすぎて、その日の米朝師匠のネタさえ記憶にない。どうしようもない。はねてから野良犬2人で「やっぱり噺家は品だな! 品!」と言いながら立ち呑み屋で5時間。しこたま飲んで、マーライオン……我ながら酷いオチなのはわかっている。時は流れて、今、私は米朝師匠の孫弟子の吉坊兄さん・佐ん吉さんと二人会をさせてもらっている。米朝師匠の遺伝子から『品』を盗まねば。落語もコラムも品は大事。

週刊朝日 2018年7月13日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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