デヴィ夫人「テレビに出ていたほうが絶対にいい」その理由は? (3/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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デヴィ夫人「テレビに出ていたほうが絶対にいい」その理由は?

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デヴィ・スカルノ(通称・デヴィ夫人)/1940年、東京都生まれ。インドネシア元大統領夫人。イブラ音楽財団名誉会長。「マスコミには40年以上ひどい目に遭い続けてます。編集部に爆弾を投げつけてやりたいくらいの週刊誌がいくつもあるわ。おたく(週刊朝日)じゃないわよ。ご安心あそばせ」(撮影/小山幸佑)

デヴィ・スカルノ(通称・デヴィ夫人)/1940年、東京都生まれ。インドネシア元大統領夫人。イブラ音楽財団名誉会長。「マスコミには40年以上ひどい目に遭い続けてます。編集部に爆弾を投げつけてやりたいくらいの週刊誌がいくつもあるわ。おたく(週刊朝日)じゃないわよ。ご安心あそばせ」(撮影/小山幸佑)

 みなさん、あまりご存じないけど、社会活動こそが私の生きがいなんです。無名の音楽家にチャンスを与える活動をしているし、2020年の東京オリンピックまでに動物の殺処分をゼロにしたいと考えています。

 テレビ番組を見たお友達に「あんなことして怖くないの」と聞かれますが、怖いに決まってるじゃないですか。私、高所恐怖症なんですよ。でも私は、チャレンジ精神を失うことが「年を取った」ということだと思っています。ほかの人にできるんですもの、私にできないわけがない。気持ちは18歳のつもりです。

――そのバイタリティーこそが、デヴィ夫人という人物をつくった。幼いころから、人の3倍勉強し、3倍働いて、3倍努力して、人の3分の1の睡眠で人生を切り開いてきた。

 小学生のころは、ヤミ屋のおばさんといっしょに買い出しに行っていました。帰りは持てるだけのお米や野菜を持って、すし詰めの電車に乗って帰ってくる。「一斉だ!」って声がかかると、おばさんたちはせっかく買ってきた荷物を電車の窓から、泣きながら捨てるんです。

 中学3年生になって、進学か就職かというときに、家にクラスメートのお母さんが来ていました。母が畳に頭をこすりつけている。私の学費を借り、返せないでいたんですね。私は、母をそんな目に遭わせたくなかった。一日も早く母と弟を食べさせてあげたいと思って、千代田生命に入りました。150倍の倍率だったと聞いています。私はそろばん2級で、英会話ができました。近所にアメリカ兵が住むエリアがあって、憧れて英語を勉強していたんです。

 就職してからも、昼休みは近所の喫茶店でアルバイトをして、夜は定時制の高校に通い、サパークラブでも働きました。普通の娘が経験しない苦労を重ねながら、神の試練と思い、道を切り開いてきたんです。

 何度人生をやり直したとしても、たゆまない努力を重ね続ける道を選びます。苦労なくして成功はありません。楽なかわりにそこそこの人生なんて、まっぴらごめんだわ。


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