デヴィ夫人「テレビに出ていたほうが絶対にいい」その理由は? (2/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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デヴィ夫人「テレビに出ていたほうが絶対にいい」その理由は?

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デヴィ・スカルノ(通称・デヴィ夫人)/1940年、東京都生まれ。インドネシア元大統領夫人。イブラ音楽財団名誉会長。「マスコミには40年以上ひどい目に遭い続けてます。編集部に爆弾を投げつけてやりたいくらいの週刊誌がいくつもあるわ。おたく(週刊朝日)じゃないわよ。ご安心あそばせ」(撮影/小山幸佑)

デヴィ・スカルノ(通称・デヴィ夫人)/1940年、東京都生まれ。インドネシア元大統領夫人。イブラ音楽財団名誉会長。「マスコミには40年以上ひどい目に遭い続けてます。編集部に爆弾を投げつけてやりたいくらいの週刊誌がいくつもあるわ。おたく(週刊朝日)じゃないわよ。ご安心あそばせ」(撮影/小山幸佑)

 そして、その2日後に弟も亡くなってしまいます。自殺でした。いろんなことがあって、心に病を抱えていたようです。母と弟を守れなかったことは、悔やんでも悔やみきれないし、償っても償いきれません。

 成功には犠牲が付きものだと言いますが、私は母と弟を犠牲にしてしまいました。大きな犠牲でした。私は一生、十字架を背負っていかなければならないと思っています。

――大統領を支える人生を全うするかに思われた。しかし65年、インドネシアで軍事クーデターが起きる。

 思い出すと今でも残念で、スカルノ大統領にとって最大のミステイクだったのは、軍事クーデターが起きた翌年に、私が日本に帰されてしまったことですね。

 クーデターで国内が混乱状態になったとき、大統領をお救いして国が落ち着いた状態を取り戻すために、あちこち駆けずり回って、いろんな人と会いました。でも、左派の人間が私をひじょうに疎んじていて、スカルノ大統領を言いくるめて私を国外に追い出したんです。

 私がいなくなったことで、大統領と陸軍をつなぐパイプがなくなりました。大統領は、クーデターの1年半後に地位を追われますが、私が残っていたらまた違う展開になったのではないかと思っています。

――70年にスカルノ大統領が死去。デヴィ夫人は、幼い一人娘とともにパリに亡命した。その後、インドネシアで事業を起こして成功。ニューヨークに移住したのち、日本でタレント活動を行い、今ではお茶の間を賑わせている。

 日本に戻ってきて、いつの間にか肩書が「元大統領夫人」から「タレント」になってしまいました。人生はわからないものですね。

 まさかスカイダイビングをしたりイルカの背中に乗ってサーフィンしたりするとは思いませんでした。テレビじゃないとできないくだらないこと、バカらしいことを楽しくさせていただいております。

 おかげさまで老若男女、幅広いファンが増えました。78歳の私がいろんな冒険にチャレンジすることで、見る人に勇気を与える効果があるのではないでしょうか。それに、電波の持つ力を考えると、テレビに出ていたほうが絶対にいいんです。露出の多さは影響力につながり、社会活動を支える力になってくれますから。


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