どういう死に方をするか、いつ死ぬかなんて、誰にも分からない。だから、これから何年あるか分からないけど、とにかく毎日を最高に楽しく生きていこう、と思ってる。

 こういう考えに至ったのは、様々な患者さんの最期を見てきたからというのも、もちろんある。でも実は、一番大きいのは親父の死だと思う。身内の死は、死生観を変えるんだな。身内の死を経たことによって、人の死が初めてリアリティを帯びたというか……。

 開業医だった親父が脳卒中で死んだのは、今から十数年前、彼が77歳の時。僕は医者だから、倒れた親父の状態を見れば、これは死ぬな、というのが分かる。でも救命治療をすれば、もしかしたら生きるかもしれない。そう思って、気管切開をして徹底的な治療をすることを望んだ。たとえ助かったとしても、要介護状態でしか生きられないのは分かっている。それでも生きていてほしい、親父の存在がそこにあってほしいと思ったね。

 患者さんの家族や一般の人たちには、今までさんざん、もう寿命だと思って苦しまないようにすればいいのでは、なんて言ってた自分が、いざ身内となれば、過剰なくらい濃厚な治療を望んでしまう。その時、当事者としての治療と、冷静な第三者としての治療の選択には、大きなギャップがあるとつくづく感じた。最期を迎える患者と家族をどう支えるかという、終末期医療に対する理念が固まったのは、親父の死で、家族が患者さんを思う気持ちがより強く理解できるようになったから、ということもある。

 親父は結局、1カ月くらい入院して死んだのだけれど、今思えばピンピンコロリに近い。前日まで元気に診療していて、その夜、東京に出てきて孫と一緒に酒飲んで、帰宅した翌日の朝、脳卒中を起こして倒れた。誰にも迷惑かけずにポッと逝って、本人にとっては良かったんだろうと思う。

■命の量よりは質を取るような、そんな生き方、死に方をしたい

 自分の死に方について言えば、もちろん、楽しく生きてピンピンコロリを目指したい。でも、それがとても難しいことも、十分に分かっている。だから、「がん」と「認知症も含めた老衰」と「ピンピンコロリ」という三つのコースを用意して、それぞれの場合ごとに、自分はこうしたいという生き方を考えておく。

 がんだったら、無理に闘うことはあまりしたくない。苦痛だけないようにして、できるだけ自然の経過で診てもらう。認知症も含めて老衰だったら、医療は、積極的にはやってもらわない。ピンピンコロリなら、倒れた後、迷惑かけたらゴメンナサイ、でも延命治療はしないでね、って。

 いろいろな死に向き合ってきたからこそ、一定の年齢を超えたら自分の最期は自分で決めたいと思う。命の量よりは質を取るような、そういう生き方、死に方をしたいね。

 最近は「フレイル」という言葉が一般でも使われるようになってきたけれど、人間は基本的に「フレイル」から「要介護」を経て「死」に至る。これはつまり、健康寿命と平均寿命の乖離の期間で、平均すると男性が9年、女性が12~13年。これからは、この部分の「生き様」というものを、みんなきちんと持たなければいけないね。人生の集大成としてのこの期間を、どう生きるか。それがそのまま、死に方につながっていくと思うから。

※『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』から