学校の教師からも、話し合いでもめたときに「こちらの言うことを聞かないなら、杉山さんの担任をやめます」と言われたことがあります。それに対し私は「はい、わかりました」と答えたのですが、結局、その先生は当然担任をやめることもなく、次の日からもそんな発言などなかったかのように学校が始まりました。脅し文句とはいえ、正直、教師という立場を利用して優位に立とうとした姿勢を思い出すと、今でも頭にきます。もめたときに子ども側が悪いと思うなら、論理的にどこが悪いかを指摘し、説得するべきでしょう。まさに「大人げない」。
大人という優位性を利用して、どちらの意見が合っているか間違っているか関係なく、子どもに命令するのは、最初から勝敗が決まっている点で、一方的すぎる卑怯な行為です。その最たる例が、親による子どもの虐待でしょう。先日、目黒の5歳の女の子が虐待で亡くなった事件では、「ゆるしてください」と何度も書かれたノートが発見されました。女の子が、「親がした虐待行為」よりも許されないことをした、なんて到底考えられません。それなのになぜ、女の子が謝る側に立たねばならなかったのかと思うと、可哀想で仕方ありません。
だからこそ、子育てをしていくうえで、大人である立場を利用して子どもの行動を支配することのないように、子どもを自分と対等にみていこうと気をつけています。「そんなことする子は夕飯抜き」なんてことはもちろん、「この塾にいきなさい」「この学校を受験しなさい」だとか強制せず、子どものやる気を尊重したいと思っています。そして、もし、今回のアメフト問題のような「最初から勝敗が決まっているアンフェアな圧力」を受けることに出合ったら、一人で悩んで解決しようとせずに、迷わず親、もしくは第三者に相談するようにと教えていきたいです。
ところが最近、息子がテレビ番組「ピタゴラスイッチ」の言葉をまねして、「子どもだからできませーん」と言いだすようになりました。年齢が下であることを逆手にとって、大変なパズルの片づけなんかを親にやらせ、自分はラクをしようとしてきます。つくづく、立場の利用とはやっかいなものだな、と感じさせられます。