今振り返ると「ようできたな」と思いますけど、「これを逃したら、もうあとはない」って気持ちがあったんでしょうね。漫才一筋に打ち込んで、自分は生まれ変わるんや、そう思ってました。何度生まれ変わったら気が済むんやっていう話ですけど。

 最初のうちは富山弁が出てくるんです。「アホみたいなこと言いなさんな」と突っ込むところで「ダラみたいなこと言いないな」と言うてしまう。お客さんには通じませんよね。「なんで笑わへんのや。富山ではアホのことダラって言うんや」って自分で突っ込んで、そこでお客さんがドッとウケたんです。

――かしまし娘の人気は爆発し、劇場は常に超満員。客が観客席からあふれ、舞台の隅でひしめき合っていた。

 すごい勢いでしたね。女3人の漫才トリオは、ほかにいなかった。全員が歌えて、私は三味線で民謡系、照枝ちゃんはギターでジャズ系、花江ちゃんもギターやけど演歌系と、それぞれ持ち味が違う。

 きょうだい3人でやれたのは、ほんとによかったです。親孝行もできたしね。きょうだいやから言いたいことが言えて、長いこと続けてこれたんやと思います。

 ただ、人気商売の常で、だんだん飽きられてくる。拍手が減ってくるのがわかるんです。

 3人で漫才を始めてから25年たったころ、生みの親でもある勝社長がいきなり「かしまし娘の漫才はもうやりません」って発表したんです。ビックリしたし最初は腹も立ちましたけど、おかげで新しい道に踏み込む決心がついたわけなんで、今では感謝してます。

 その後は、俳優やタレントの仕事をさせてもらってきました。無理に漫才を続けてたら、だんだん居場所がなくなって、寂しいことになってたかもしれませんね。

 ただ、かしまし娘は解散したわけではありません。一緒に舞台をやったり、トーク番組に出してもらったりしてます。いまだに街では「かしまし娘のおねえちゃん」って言うてもらえます。娘でもおねえちゃんでもないけど、ありがたいですね。

――芸歴80年以上。今、行動を共にするのは結婚58年目の夫。7歳年下で大恋愛の末に結婚した。

 人生を振り返ると、落ちるところまで落ちたから、今があると思う。とことん落ちると、それ以上は落ちようがない。今、つらい状態にある人も、もっと落ちることを怖がらなくても大丈夫です。中途半端で止まると、かえってややこしいことになる。どん底まで落ちたら、あとは上がってくるだけです。

 まあ、この人(夫)にもらってもらえたのは、私の人生でいちばん幸運だったことですね。ちょっとホメすぎかな。

(聞き手 石原壮一郎)

週刊朝日 2018年6月29日号