「眼球運動が恐怖をやわらげるメカニズムは、レム睡眠との関連などが言われていますが、まだ解明に至っていません。脳の持つ回復力が活性化されているのではないかと推測されています。複雑なケースや精神状態が不安定な場合は時間がかかることもありますが、うまくいけば数回の治療で効果が出ます」(本多医師)

■「親に楽しく遊んでほしかった」 抑圧されていた気持ちに気づく

 山田さんの場合、特につらいと感じた四つの体験に焦点を当てて治療した。1回目は、両親が離婚したとき、母親が友人との電話で「子どもなんてどうでもええ」と話すのを聞いたことだ。治療前の苦痛の度合いは7。「親として許せない」という否定的な考えが強かった。しかし、眼球運動を繰り返すと、徐々に苦痛の数値が下がり、最終的に2まで下がった。「母にも余裕がなかった」と肯定的な考えをもてるようになっていた。

 苦痛の数値が下がったら、肯定的な考えを思い浮かべて眼球運動を繰り返す。4回の治療を終え、山田さんは「親に楽しく遊んでほしかった。子どもを見て腹が立つのは、うらやましかったからだ」と抑圧されていた気持ちに気づいた。現在は、当時を思い出しても心が乱れず、「子どものことも、自分自身のこともかわいい」と思えるようになったという。

「眼球運動でトラウマが過去の記憶として処理され苦痛がやわらぐと、合理的な考えが働くようになります。すると、見捨てられた恐怖などが減り、自己肯定感や自信を取り戻せるようになります」(同)

 PTSDの治療法は他にも、「持続エクスポージャー(曝露)療法」(PE)がある。トラウマになっている事件や事故を思い出して語ったり、避けているものや行動をあえて行ったりすることで、トラウマを乗り越えていく治療法だ。荒療治にもみえるが、多くの臨床研究でその効果が実証されており、2016年4月から健康保険でも治療できるようになった。

 トラウマ記憶に向き合うのは、想像を絶する苦痛を伴う。治療は専門医や臨床心理士の指導のもとに慎重におこなう必要がある。
 (文・井艸恵美)

※週刊朝日ムック『新「名医」の最新治療2017』から一部掲載。医師の所属は当時