家宅捜査を受けた55歳年下の妻と家政婦も芸能界とは無縁ではない。

 妻はAV映画の出演やモデルの仕事をしていた。家政婦は元六本木のホステスで娘は歌手。

 野崎氏はコンサートを聴きに行ったりしていた。

「家政婦親子は芸能人の知り合いがいる」(同)

 野崎氏の死因は「急性覚せい剤中毒」だ。捜査は覚醒剤ルートの解明や野崎氏が利用していた、女性を斡旋する高級交際クラブのルートなど多方面に及びそうだ。

 カネ、オンナ、クスリが絡む事件といえる。

 50億円の財産があると豪語していたが、どうやって巨富を築いたのか。野崎氏は生前、本誌の取材にこう答えていた。

「若い頃、いい女をたくさん抱くためだけに自分は生きようと思った。そのためにはカネがいる。それでコンドームのセールスマンをやって、全国各地を飛び歩いて稼いだ。時にはその場で奥さんにコンドームの実演販売をすることもありましたよ」

 長身で長い髪の若い女性と交際を繰り返した。

「社長は『ボン・キュッ・ボン』が好みなんです。豊かなバストとヒップ、しまったウェストの3サイズが良ければそれでオーケーでした」(元従業員)

 野崎氏の実家は酒屋だった。7人兄弟の3男だったが、親族とはうまくいっていなかったという。

「野崎さんは兄弟に反発して、酒の卸業を始めたんです。最近の主な仕事は金融業と酒卸業、そして地元名産の梅干し販売でしたが、赤字だった」(同)

 会社の前には自動販売機がズラリと並び、午前1時過ぎに起床し、午前3時過ぎには出勤するのが日課。 自ら自販機のコイン箱を開け、チェックするのを楽しみにしていた。

「いつも今日は2万ナンボあったとか、4万ナンボあったとか言っていた。ある日、なぜ、そんなことが楽しみなのかと質問したら、『自販機は偉いもんだよ。24時間、文句も言わず稼いでくれるから』と笑っていた」(同)

 社員や妻、家政婦もみな、野崎氏のことを「社長」と呼んでいた。

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