──競技生活を振り返って、楽しかったこと、うれしかった思い出は。

「楽しかった」というのはあんまりないかもしれない……。目標にしていた世界チャンピオンに初めてなれた2008年の世界選手権(編集部注:演技スタート直後に、氷の溝にはまって大きく転倒するも、その後のジャンプをすべて決めて逆転優勝)や、ソチ五輪とか、これまでに多くの達成感を感じながら競技を続けてきました。それは「楽しい」というのとは少し違います。でも選手時代、うれしいことはホントにたくさんありましたね。

──現役時代、最もつらかったことは。

 うーん。試合の中ではいろいろありましたが、やっぱり、ジャンプを修正していたとき(バンクーバー五輪後)は全然自分の気持ちと体が合わなかった。復帰後も、若い世代とのレベルの差を感じて、目標と公言してきた次の五輪に向かって選手を続けるのか、やめるのかを、葛藤していたときはちょっと苦しいな、と感じることもありました。

 頑張っても競技の結果がついてこなかったり、姉とちょっと仲が悪くなってしまったり。家族がバラバラになってしまったと感じたこともあります。

──それはスケートがきっかけで?

 やっぱり、浅田家はスケート中心でまわっていたので。スケートがあることで、家族が大変な思いをしてしまったこともありました。

──でも今はお姉さんがアイスショーでも一緒です。

 私が迷っているときに、手伝うよと言ってくれて、出演してくれることになったんです。スケートによって姉との関係に苦しんだこともありましたが、スケートがあったからこそ、スケートに助けられた部分もほんとうにたくさんありました。何よりファンの方に助けられた部分が大きいです。だからこのサンクスツアーで、ファンの方に恩返しをしたい。これまで真央を応援してきてくれてありがとうの感謝を届けたい。

 そのためにこれからも滑り続けます。

(聞き手/本誌・大崎百紀、堀井正明)

週刊朝日 2018年6月15日号より抜粋