美空ひばりさんと同じステージに上がったときは、ひばりさん独特のこぶしを利かせた演歌を一緒に歌い上げないといけなかった。徹夜で練習し、「ひばり節」をマスターした西城さんに、ひばりさんがこう声をかけた。

「秀樹さん、良かったわ」

 西城さんの周りには、自然と人が集まってきた。

「新御三家」のひとり、野口五郎さんとは、番組の収録の後、よくご飯を食べに行った。「とはいえ五郎さんは、食事は栄養が取れればいい、というタイプ」(天下井さん)。ある晩、野口さんが西城さんに、「おいしいところ、連れていってやるよ」と誇らしげな口調で誘ってきた。深夜0時を回ったころ、連れていかれた先は、青山の立ち食いそば屋だった。

 ときは、「YOUNG MAN」のヒットの絶頂期。新御三家のアイドル2人が、立ち食いそばをすする光景に、酔っ払いのサラリーマンが仰天していたという。

 01年に美紀さんと結婚し2男1女に恵まれたが03年と11年の2度、脳梗塞を発症した。リハビリを受けながらコンサートや執筆活動を続けた。

 本誌でも08年1月から1年半にわたり、「秀樹とヒデキ」のエッセーを連載。担当デスクを務めた大嶋辰男さんが、連載開始にあたり西城さんのプロフィル欄に「職業、スター」と書いた。すると西城さんは、「いいねぇ」とすごく喜んだという。

「連載でも、『こんな話はどうかな』と、どんどん新しい提案をしてくれる方でした。病気やリハビリもそうですし、芸能活動でも苦労があったとは思いますが、愚痴や弱音をほとんど口にしなかった」(大嶋さん)

 アイドル時代は、写真誌「フォーカス」の追っかけをこうやって巻いた、なんて体験談を面白おかしくしてくれて、打ち合わせのたびに、会うのが楽しみだったそうだ。一緒に時を過ごす相手を照らして、楽しい時間をもたらしてくれる。スターというのは、そんな種類の人たちなのだな、と大嶋さんは感じたという。

 生涯スターであり続けた西城秀樹さん。告別式は5月26日、東京・青山葬儀所で執り行われる。(本誌・永井貴子、太田サトル)

週刊朝日 2018年6月1日号