東京・市ケ谷にある交流サロン「オヤノコト.ステーション」。親世代の暮らしが快適になる商品を展示している
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親も子も満足! 親孝行10の秘訣 (取材に基づき、編集部作成)(週刊朝日 2018年5月18日号より)
親も子も満足! 親孝行10の秘訣 (取材に基づき、編集部作成)(週刊朝日 2018年5月18日号より)

 いざしようと思っても気恥ずかしさからなかなかできない親孝行。しかし、親が急死することもある。親孝行は思い立ったらすぐに行動に移したほうがよさそうだ。親の死が迫っているなら、なおさらだ。

【図表でみる】親も子も満足! 親孝行10の秘訣

 かつて葬儀社に勤め3千人もの人を送り、今は終活セミナーの講師をしている川崎市在住の清水晶子さん(45)は2年前の秋、父親を送った。

 がん宣告を受け、抗がん剤や放射線治療を続けた結果、体重は半分になり、歩けなくなった。豪快な人柄だったのに、うつ病になった。

 このままではいけない──。清水さんの家族は沖縄・宮古島への旅を実行。その後は、「父らしい最期」にするため、在宅医療に変更した。

 入院中はコーヒーを飲んでもうなぎを食べても、味覚がまひして味がわからなかったという父親。ただ、家に戻ったところ、好物のハンバーグを「ああうまい、肉の味がする」と言ってうれしそうに食べた。娘や孫と触れ合い、笑顔も戻った。スキンヘッドの父親の頭を見た清水さんの娘の一言、「じぃ、頭の形、イケてんじゃん」で、清水さんも視界が開けた、と当時を振り返ってくれた。

 清水さんには「死は決して敗北ではない。自然のサイクルの一つ」という考えがあった。父の死期が近づいてもあらがおうとはしなかった。やりたがっていた農作業もさせた。

「最後の最後に具合を悪くするまで、貸し農園を耕し、タマネギやピーマンなどを独力で何百キロも収穫していた。父にとっては最高の日々を過ごせたと思います」

 学生時代からの友人(当時85歳)に会いたいと言いだしたときも、清水さんが連絡をとって来てもらい、旧交を温めた。その翌日、意識が遠のいた。

「パパ、いい人生だったよね」「おもしろくて、楽しかったよね」

 家族にそう声をかけられながら息を引き取った。

「親が旅立つ際には『逝かないで』でなく、大きな愛情で送ることが大切だと思っています。父は父らしく逝った。生ききったのです」

 清水さんは、病気や治療に関する情報収集と選択、そして送り方までをしっかりこなした。それが「最後の親孝行」だった。

 死が間近に迫っていなくても、親はどんどん老いていく。足腰が弱ったり、認知症になったりすることもある。老親に向き合うことは避けられないが、それも親孝行の一つだ。

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