【文豪の湯宿】拷問で死ぬ前の安息の時…小林多喜二が隠れていた宿 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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【文豪の湯宿】拷問で死ぬ前の安息の時…小林多喜二が隠れていた宿

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鈴木裕也週刊朝日#旅行
番下駄に丹前で風呂場に行き、湯船ではブラームスを口ずさんだ

番下駄に丹前で風呂場に行き、湯船ではブラームスを口ずさんだ

多喜二が潜伏した部屋には今も手火鉢、行火、茶だんす、丹前などが残されたまま

多喜二が潜伏した部屋には今も手火鉢、行火、茶だんす、丹前などが残されたまま

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる新連載「文豪の湯宿」。今回は「小林多喜二」の「福元館」(神奈川県・七沢温泉)だ。

【写真】多喜二が潜伏した部屋はこちら

*  *  *
 小説『蟹工船』でプロレタリア文学の旗手となった小林多喜二だが、この作品で帝国海軍を批判したとして不敬罪に問われた。昭和5年には治安維持法違反で収監され、翌年1月に保釈されたが、特高(特別高等警察)からは厳しく監視されていた。

 この年の3月、多喜二は監視の目を逃れて七沢温泉の福元館に身を隠す。1856年創業の老舗温泉宿だ。

 約1カ月、この宿で小説『オルグ』を執筆した多喜二は、官憲の靴音を聞くたび、書きかけの原稿用紙を丸めて便所に捨て、深夜まで裏山に身を隠す生活だった。

 そんな要注意人物であることを承知で、当時の女将は青年作家を匿(かくま)った。甘いものを求められればぼた餅を作り、拷問で傷だらけになった背中に手作りの湿布薬を貼ったという。

 実はこの頃、多喜二は最愛の恋人と別離してもいる。友人に借金してまで身請けした小樽の女給・田口タキが、親きょうだいの生活を支えるため故郷に帰ることになったのだ。

 昭和8年2月、29歳の多喜二は都内で逮捕され、取り調べ中に拷問死する。福元館で過ごした1カ月は、最後の安息の時だったかもしれない。(文/本誌・鈴木裕也)

■福元館(ふくもとかん)
神奈川県厚木市七沢2758

週刊朝日  2018年4月27日号


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