東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
五回表巨人2死一、三塁、大城を右飛に打ち取り、グラブをたたいてベンチに下がる中日松坂=ナゴヤドーム(c)朝日新聞社
五回表巨人2死一、三塁、大城を右飛に打ち取り、グラブをたたいてベンチに下がる中日松坂=ナゴヤドーム(c)朝日新聞社

 西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏が、中日に移籍した松坂大輔投手についてアドバイスを送る。

【写真】巨人戦で先発した松坂大輔

*  *  *

 中日の松坂大輔が4月5日の巨人戦で先発した。結果は5回8安打3失点。遊撃手の京田のタイムリーエラーや、不運なポテンヒットもあったが、それも含めて結果だ。本人もマウンドに上がることが目標ではなく、チームを勝たせることができなかったことを相当悔しがっているだろう。

 意図した球種、コースでアウトも取れていたと思う。右打者のインコースにシュートでえぐるだけでなく、逆に体のほうからストライクゾーンに来るカットボールも投げていた。内外角、高低のボールを散らして、打たせて取る投球はできていた。そして勝負どころでは三振を狙って空振りが取れていた。

 スピンの利いたきれいな真っすぐではなく、細かくボールを動かして打たせて取る投手への変化を目指す中で、勝負する形は見えていたのではないかな。その意味でも、ポテンヒットや野手のエラーはアンラッキーと割り切るしかない。

 あとは足に対する警戒だな。穴の多い外国人投手と同じように盗塁を許している。足よりも先に手が動くクセがあり、相手球団は「松坂なら走者が出たら走れる」と思っているだろう。メジャーリーグでは、走る選手は限定されていたが、日本では隙を見せれば全員が走ってくる。ヒットを打たれたら、ほぼすべて盗塁で二塁に進まれるのはよろしくない。何とか対策を立ててもらいたい。ただ、2週間に1度のペースで投げていけば、必ず白星は手にできるという感触は得られたと思う。しっかりと肩を休めて次に向かってもらいたい。

 私事ではあるが、4月3日には所沢移転後40年目を迎えた西武の本拠地開幕戦、ソフトバンク戦の試合前セレモニーに行ってきた。始球式では、打席には田淵幸一さんが立ち、私が投げたが、何とか山なりながらストライク投球はできた。田淵さんが「ソフトバンクの工藤を倒して優勝してください」とマイクで宣言もした。ファンの方々には少しは楽しんでいただけたかなと思う。

 西武が開幕から3連勝して迎えたその日の試合は7−4で逆転勝ちした。昨年、圧倒的な差をつけられたソフトバンクとの今季初対戦。絶対に負けてはならない試合だったと思う。そして王者と互角の争いを繰り広げるには、直接対決はしっかりとっていかないと。その意味で、4点リードの八回に一発で同点の場面をつくってしまったのはいただけない。カードの初戦。翌日も試合は続くのだから、相手に希望を持たせる形で終わってはいけない。今後は昨季1勝11敗の鬼門ヤフオクドームでの戦いもある。シーズン終盤になれば、それまでの直接対決の対戦成績が選手のメンタルに微妙に影響を与える。隙を見せることなく戦っていってもらいたい。

 海の向こうのメジャーリーグでは大谷翔平がエンゼルスで鮮烈デビューを飾った。オープン戦の時に投手、打者の両方とも結果が出なくて、アメリカのメディアにも相当たたかれていたと思う。打撃では開幕直前にステップせずに打つノーステップ打法に変えたが、その決断がすごい。打撃フォームを変えれば、何かが崩れる可能性があったからね。でも、最高の滑り出しができたことで、今後は多少結果が出ない時が来ても、落ち着いて野球に取り組めるだろう。

週刊朝日 2018年4月20日号

著者プロフィールを見る
東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

東尾修の記事一覧はこちら