ミッツ・マングローブ「若手俳優のあるべき姿を帰納する竹内涼真の自意識」

連載「アイドルを性せ!」

ミッツ・マングローブ週刊朝日#ミッツ・マングローブ
どこを切っても何をやっても竹内涼真(※写真はイメージ)
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どこを切っても何をやっても竹内涼真(※...

 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「竹内涼真」を取り上げる。

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 今をときめく若手俳優さんたちを見渡してみると、皆さん実に「器用だなあ」と感心することしきり。特にCMなんかを観ているとそれは顕著で、時代の寵児・菅田将暉さん(シンガーとしても成功!)を筆頭に、『キャラのデパート』かというくらいの引き出しの豊富さを見せつけてくれています。どストレートな演技から、被り物や変顔も辞さないコミカルな設定まで、とにかく見事な対応力です。

 とは言いつつ「若手人気俳優や女優って、こんな器用でいいの?」という疑問が湧いてくるのも事実。スターやアイドルというのは、もっと純然たる『金太郎飴』な存在ではなかったでしょうか? いつ何時どこを切っても同じ顔・同じ文脈でいることが許され、仮にイレギュラーな表情や格好をしたとしても、それはあくまでサービスという名のもとに提供された『意外な一面』としてありがたく消費されるのが常だったように思います。ましてや『主役級のスター俳優』なんて人たちは、いるだけで何もかもが成立・完結してしまう、言うならば不器用さと無能さの極致だったはず。

 かつて松田優作がGATSBYのCMで見せた白目も、過不足なく松田優作感が漂う中に覗く『揺らぎ』でしたし、目薬をさしただけで「きたぁぁぁぁ!」と全力で叫ぶ織田裕二の危うさも、颯爽とガードレールを飛び越えるキムタクのカッコ良さも、すべてその人がその人である故の『潰しの利かなさ』の産物で、それが絵になるからこそ彼らはスターでありアイドルであったわけです。象印の岩下志麻も、タンスにゴンの沢口靖子も、80年代後半から90年代前半にかけての浅野温子も、篠原涼子の発声法も然り。誰ひとりとして器用にこなしている人などいませんでした。

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