死別や離婚で両親のどちらかがいなくなってしまった家庭には、もっと切実な心情がみなぎっているのかもしれないが、大センセイ、なぜ母親が毎日キリキリしているのか理解できず、ひたすら彼女のヒステリーを恐怖する日々を送っていたのである。
父親は月に一度、ショルダーバッグに土産物を詰め込んで帰ってきた。メインの土産は、赴任先が北陸だったこともあってたいてい「鱒のすし」であった。
父親が帰ってくると、まるで公式行事のごとく家族全員が笹の葉に包まれた円形の鱒のすしを取り囲み、ピザのように三角形に切り分けた。大センセイいつも、
「鱒のすしって、箱は大きいのに中身は小さいな」
と思ったものである。
そんな父親の帰還の第何回目だったか、おそらく中一か中二の春休みだったと思うが、赴任先へ一緒についていくことになった。宿代のかからない旅行のようなものである。
上越線に乗ってしばらくたった時、父親が駅弁を買ってくれた。「牛めし弁当」とかいう名前であった。
嬉しかったけれど、食べ盛りの中学生にとって、薄っぺらい箱に入った駅弁は、いかにも量が足りなかった。ぺろりと平らげてしまうと、父親が当たり前のようにこう言ったのである。
「おい、もう一個食うか」
えっ、駅弁をもう一個食べていいの? そんな贅沢をしていいの? そんな、そんな、そんなことを!
結論を言えば、二個食べたのだが、大センセイ、この時のことを思い出すと、なぜか駅弁を買いたくなくなってしまうのだった。
※週刊朝日 2018年4月13日号