駅弁も思い出さまざま(※写真はイメージ)
駅弁も思い出さまざま(※写真はイメージ)

 SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機の『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「父の駅弁」。

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 駅弁というものを、ほとんど買ったことがない。

 子供の頃は食べたくて仕方がなかったがあまり買ってもらった覚えがなく、大人になってからも自腹で買った記憶はほとんどない。

 駅弁は、なにしろ値段が高い。映画館の中の自動販売機が高いのと同じ理屈なのか、当然のごとく高い。コンビニ弁当が300円、400円台で相当な味とボリュームを出してきているこのご時世に、平然と1000円、1200円という値段をつけている。

 たしかに、値段相応の高級食材を使った弁当が増えているのかもしれないが、それにしても弁当一個1000円は高い、高過ぎる。

 じゃあ君は800円なら買うのか、600円ならどうなんだ? と問われたら、どう答えるだろうか。それでも大センセイ、たぶん買わない。なぜなら、駅弁にはある思い出があるからだ。

 実を言うと、大センセイの家には、小六の時から父親がいなかった。といっても両親が離婚してしまったわけではない。小五の終わりに父親が単身赴任をすることになったのである。

 以後10年の長きにわたって、父親は存在しているのに一緒に住んでいないという中途半端な状態が続くことになったのだが、いま思い返してみても、これは奇妙な生活であった。

 母親は二重生活で生じるロスを補うためずっとパートに出ており、いつもキリキリしていた。もちろん防犯上の不安もあったのだろうが、家の中でのんびりと寛いでいる母親の姿を見た覚えがない。食事も節約第一で、外食はおろか、贅沢なものを食べたという記憶が一切ない。

 父親からは「お前が家を守れ」といった内容の手紙が時折届いたが、実際は父親が生きているのだから、そんなことを言われてもちっともピンと来なかった。

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