とはいえ、肝心なのはホステスの質。当時の募集広告を読むとよく分かる。

「上品な純喫茶スタイル。お迷いにならずデパートにお勤めになる気持ちで安心しておいで下さい」

「素晴らしい教養ある方に限ります。東京一高額の固定給制度です」

 しかし、その後に登場した高級ナイトクラブや大衆キャバレーに押され、昭和45(1970)年の大阪万博後からアルサロ人気にも陰りが見え始める。

 昭和47年5月13日夜、千日前で起きたビル火災では営業中だったアルサロ「プレイタウン」に煙が充満。客57人と従業員124人のうち、96人が店内で死亡、22人が窓などから転落死。42人が重軽傷を負い、日本のビル火災史上最悪の大惨事となったこともアルサロのイメージを悪くした。

 昭和63(1988)年2月10日付の朝日新聞はユメノクニが38年の歴史に幕を下ろすことを伝えている。ホステスの平均年齢は40歳を超えていたという。

 ところで冒頭に挙げた「疑似恋愛」だが、アルサロであろうがキャバレーであろうが、本質は変わらない。昭和62年に池袋で現れたと伝わる新業態の「キャバクラ」(キャバレーとクラブを合成した造語)の売り文句は「3回通えば、店外デートに誘える」だった。

 ホステス(キャバ嬢)の衣装はスーツのミニが基本。客の隣に座り、ニッコリ接待する。そのときチラリと見えそうなのがスカートの中の三角地帯。情けないことに男たちはあの三角地帯が気になって仕方がない。だが膝の上にはハンカチがきちんと載せてあり、見えそうで見えない。胸の谷間も同じである。

 まさに「チラリズム」の極致だろう。江戸時代、近松門左衛門も言っていた。芸というのは虚にして虚にあらず、実にして実にあらず──。その微妙な「虚実皮膜の間」に芸の本質があると。ホステスもまた芸能者なのである。

週刊朝日 2018年4月6日号