「疑似恋愛」は「アルサロ」がルーツ? 素人女性の“手作り接待”がウリ (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「疑似恋愛」は「アルサロ」がルーツ? 素人女性の“手作り接待”がウリ

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クリスマスイブの夜、大阪のアルサロやキャバレー、ダンスホールはどこも満員のにぎわいを見せた=1954年12月24日

クリスマスイブの夜、大阪のアルサロやキャバレー、ダンスホールはどこも満員のにぎわいを見せた=1954年12月24日

大阪・梅田には、皇太子さま(当時)と美智子さまのご成婚を祝う飾り付けを施したアルサロも登場した=1959年4月

大阪・梅田には、皇太子さま(当時)と美智子さまのご成婚を祝う飾り付けを施したアルサロも登場した=1959年4月

東京・銀座の並木通りは夜ともなれば客待ちのタクシーで大渋滞=1973年7月

東京・銀座の並木通りは夜ともなれば客待ちのタクシーで大渋滞=1973年7月

 職場と自宅を往復する単調な毎日。通勤ラッシュに苦しむサラリーマンの顔も浮かぶ。そんな男性にとって、ユメノクニはまさに砂漠のオアシスに映ったのだろう。一時は200人のホステスを抱えて大繁盛する。働く動機で最も多かったのが「自分の生活費を稼ぐため」、次いで「家族を助けるため」だった。「結婚の準備金を稼ぐため」と答えた女性も多かった。

 アルサロという言葉は「レッドパージ」「特需」という言葉とともに当時の流行語になった。朝鮮戦争が勃発した年。戦時下で必要な業務の需要が特需を引き起こし、日本経済の復興もこの年から軌道に乗ったといわれている。イタリア映画「自転車泥棒」が社会と世相を反映して観客の人気を呼び、邦画では「羅生門」「きけ、わだつみの声」が公開された。

 話を戻そう。大阪で花開いたアルサロ商法はやがて東京に伝わる。銀座2丁目にあったストリップ劇場を改装して昭和28(1953)年10月にオープンしたのがアルサロ「赤い靴」だ。文字通り、英国のバレエ映画からとった名前である。支配人は大阪から上京した根尾一朗という人だった。

 純白のドレスに赤い靴がトレードマーク。テーブルチャージ無し。千円でビールが4本も飲めた。「東京ではアルサロはなじまない」と銀座の高級店の経営者たちは口をそろえたが、大いに繁盛したらしい。「赤い靴」のキャッチコピーは「偽り多き世間に、これは真実の福音です」だった。

 アルサロは働く女性にとっても画期的だった。それまで主流だった「自由チップ制」は下火になり、店の売り上げや客からの指名数で変動する「保証給制」に移行していくのである。つまり、客観的な数値で評価されるようになったのだ。

「赤い靴」に続けとばかりに「メリー」「君の名は」「白いばら」「シルバーゴールド」といったアルサロが続々と銀座にオープン。「明日では遅すぎる」「お気に召すまま」というユニークな店も登場した。何が遅すぎるのかはよく分からないが、客を引きつける絶妙なコピーであることは確かである。このころ問題になったのが従業員の引き抜き。支配人が店を移るたび、息のかかった部下も連れていったそうである。


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