日本の平和運動をリードした吉田嘉清さんが死去

佐藤修史週刊朝日#お悔やみ

米寿を祝う会で挨拶する吉田嘉清さん=2014年... (15:50)週刊朝日

米寿を祝う会で挨拶する吉田嘉清さん=2014年... (15:50)週刊朝日
 反レッドパージ闘争や原水爆禁止運動に尽力した平和運動家・吉田嘉清(よしだ・よしきよ)さんが3月21日、心不全のため東京都内の自宅で亡くなった。92歳だった。26日午前、身内だけで告別式が営まれた。

【写真】米寿を祝う会で仲間と握手をする吉田さん

 吉田さんは熊本県生まれ。早稲田大学の学生だった1950年、学生自治会委員長として反レッドパージ闘争を指揮。その後、原水爆禁止運動に参加し、64年には原水爆禁止日本評議会(原水協)の事務局長に就いた。70年代には、ベトナム人民支援日本委員、第五福竜丸保存委員、原水爆禁止統一実行委員会代表幹事などを歴任し、日本の平和運動をリードした。

 原水禁運動をめぐっては、63年に共産党系の原水協と、旧社会党・総評系の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)に分裂したが、77年からは統一行動をとっていた。吉田さんは「核戦争阻止、核兵器完全禁止、被爆者救援に向け、運動にはさまざまな立場の個人・団体が参加している。特定の政治的立場の指導下には置けない」とし、原水禁との統一行動を推進してきた。だが、原水協代表理事だった84年、統一行動に反対する共産党系理事から辞任要求を出され、事実上、解任された。

 吉田さんが「大衆団体と反核運動への党の不当介入だ」などと反論し、原水協内は紛糾。この解任劇は全国紙の1面で報じられるなど、大きな注目を集めた。原水協・原水禁は“再分裂”し、86年以降、別々の原水爆禁止世界大会を毎年夏に催している。

 吉田氏は解任後、市民団体「平和事務所」を立ち上げ、90年にはエストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金を創設。その功績から、2010年にエストニアから赤十字勲章を授与された。

 2014年11月、吉田さんの「米寿を祝う会」が東京都内で開かれ、平和運動の盟友たち約60人が、かつての組織や党派の枠組みを超えて一堂に会した。あいさつに立った吉田さんは「もうヨレヨレの老人ですけどね。戦前復帰を許さないという気持ちだけはね、はっきりと我々の世代が言わなければならないと思っています」と述べた。(週刊朝日編集長・佐藤修史)

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