「思い込み」とは厄介なもの? (※写真はイメージ)
「思い込み」とは厄介なもの? (※写真はイメージ)

 SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機の『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「間違えられた」。

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 電車で座っているとき、目の前に妊婦さんらしき女性に立たれるのは、悩ましい事態である。

 大センセイ、妊婦さんであることに確信が持てれば、即座に席を譲ることにしている。しかし、目の前にいるお腹の大きな女性が妊婦さんであるかどうかの判断は、なかなかに難しい。たとえお腹は出ていても、ウエストが太めというか……つまり、単なるデブだってこともありうるのだ。

 万一、太めの人に席を譲ると申し出てしまったらどうなるだろうか。勘の鋭い太めなら、

「このおっさん、アタシのことを妊婦だと勘違いして席を譲ろうとしたな」

 と、こちらの誤認を見抜いてしまうかもしれない。善意のつもりでしたことが、むしろ人を傷つけてしまうかもしれないのだ。

 それはさておき、こうして逡巡してしまうのは、手前味噌だが、大センセイの脳ミソがまだまだ柔軟な証拠ではないかと思うのだ。なぜなら、本物の老人には、思い込みの激しい人が大変に多いからである。

 過日、東京ドームの近くのデニーズで、昼食を食べながら打ち合わせをしていたときのことである。

 大センセイ、好物のとんかつ定食を注文して、甘いとんかつソースをたっぷりかけたひと切れをご飯の上に乗せては、ご飯もろとも頬張るという行為を繰り返していた。いかにも品のない食べ方だが、甘いソースが絡んだ白いご飯ほど美味なものはない。

 ふと気づくと、隣のテーブルに座っているお婆さんが、微笑を浮かべながら、こちらを見つめている。

 白髪ハゲの大センセイが、さすがに若者に見えるはずはないから、

「若い人がパクパクご飯を食べてる姿を見ると、なんだか嬉しくなるわねぇ」

 といった視線でないことは間違いない。では、いったいいかなる視線なのか。

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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