こんな個性派集団が新生5年目の小鹿野高野球部の歴史を塗り替えた。新チームになってから初めて臨む埼玉県北部地区新人戦で、谷商や上尾といった古豪名門ら32チームが集まる中で頂点に立ったのである。チーム一元気者の捕手須崎健はこの優勝が小鹿野の行き先を決定づけたと言う。

「これで自信を持って堂々と『甲子園』を口にできるようになった」と。そして続けた。「完太の存在が大きかった」

 高橋完太。前年の8月、夏風邪の高熱で伏せっていた際、外気にあたろうとフラフラしながら寮の屋上に上がったところ、過って転落して亡くなった山村留学生である。

 中学時代はやんちゃが過ぎて鑑別所に入った。学校へはまともに行かず、先生に反抗し、いつも悪い仲間とつるんだ。しかし、野球となると話は違った。野球のためならばと、一人黙々と公園で筋トレをし、打者に有利とばかりに本来の右打ちから左打ちに自ら工夫して転向、帰宅後は大好きなメジャーリーグの映像に食い入った。

 シニアで野球をしていたが、どの指導者とも考え方の違いや昔ながらの理不尽な教え方に反抗し、退団を余儀なくされた。野球が唯一の居場所の完太にとってこれほどつらいことはない。ポッカリ空いた隙には悪い仲間が待っている。たまたま地元テレビ局で小鹿野高野球部を紹介する放送を目にし、進路は百八十度変わった。

「俺、ここに行くよ」

 それまでろくに勉強もせず、高校に進学する気など全くなかったはずが……。

「山に囲まれた中で伸び伸びと野球に打ち込む姿に引き込まれたようです」

 母・千登世は息子の強い意思を尊重し、早速、小鹿野へ体験に連れていった。

「石山さんと面と向かう完太がうなずいている。あんなの初めてです。大人を信用しきれずにいたのに。同じ目線で理論立てて話す石山さんを信頼したんです」

 完太はそれまでの自分と決別し、新しい自分に生まれ変わるチャンスだと、心はすでに小鹿野に向いていた。

「俺、小鹿野一本で行く」

受験、そして入学を決めて入寮を間近に控えた矢先だった。以前に犯した窃盗の容疑が明るみに出て、2回目の鑑別所送りとなったのだ。完太は面会に来た千登世に「野球がやりたい」と泣いて訴えた。

 大好きな野球がやれる新しい居場所を見つけ、これからという時だけに罪は罪としても、彼の気持ちを思うとやるせない。

 結局、完太は1年間の保護観察付きの審判を下された後、入学。小鹿野での生活をスタートさせた。チームにもすぐになじみ、入寮1週間後には「寮はチョー面白えから」と、千登世に連絡してきた。

 大好きな野球ができ、これまで聞いたこともない質の高い石山理論にも接し、学校でも寮でもいつも仲間が側にいる。完太は生まれ変わった。

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