一瞬で果ててしまう人もいたのだろうが、料金は時間にかかわらず1回50円。当時、そばが1杯15円だったので、それほど高額ではなかったようだ。

 警察のカリコミに対し、娼売する方はあれこれ弁明していた。「かんべんしてください。生活できないから、仕方ないんです。初めてなんです」とかなんとか……。視察中の警視総監が男娼に殴られる事件もあった。昭和23(1948)年11月22日夜。犯人は32歳の通称「オキヨ」。大阪出身。少年時代に目覚めたという。

「なんや知らんけど、大勢の男たちがやってきて、いきなりカメラマンがフラッシュを光らせたのよ。アタマにきたんで一番偉そうな人を殴ったんよ」

 当時の取材にそう答えている。天下の警視総監の視察。大勢の新聞記者が同行していた。もちろん公務執行妨害と暴行の疑いで現行犯逮捕されたが、オキヨは全国の男娼から英雄視されたという。

 安吾も感動した敗戦後の「ノガミ」の風景。本当に人間くさい。「娼売としてのフーゾクではなく、生活としてのフーゾクがひっそりとではあるがしっかりと息づいていた」と風俗評論家・岩永文夫さんは著書『フーゾクの日本史』(講談社)で書いている。

 近縁種の業態としては「ナメ屋」があり、かなりの年齢の熟女も加わっていたというが、詳しく書くことはやめておこう。

 白だけでなく黒もあった。「黒線」である。これは背後で反社会的な勢力が糸を引いていて、かなり危険な一帯だったという。見知らぬ男との肉体だけの交渉。暗くよどんだ空気が漂い、百鬼夜行がうごめいているような感じもする。

 黒ではないのだろうが、東海地区のある町には「ステッキ・ガール」と呼ばれた女性が路上に立っていた。散歩などの際、ステッキ代わりに連れて歩く女性のことを意味する。時間を決めて散歩のお相手をし、料金をもらう女性である。東京の秋葉原では女子高生と一緒に散歩する「JKビジネス」が社会問題になったが、いつの時代も色々な商売が成り立つものである。

 赤、青、白、黒とカラフルな呼び名ではないが、「ちょんの間」というのもある。「ちょっとの間に行為する」というのが語源だそうだ。「アルバイト料亭」とも呼ばれ、有名なのは大阪の飛田新地だろう。宿場町として江戸時代から栄えた川崎(私の故郷)の通称「堀之内」にも、小さな店舗のガラス張りの中に女性が立っていた。交渉が成立すると客は店内に入り、2~3畳の布団が敷かれた部屋でサービスを受ける。30分1万円が相場だった。

 売春防止法が施行された昭和33(1958)年には業者の組合も設立された。平成初期のバブル経済期には70~80店舗が加盟していたというが、警察の取り締まりが強化され、2005年に解散した。同様に、横浜・黄金町のガード下に巣くっていた「ちょんの間」も一掃され、往時の面影はない。赤線、青線、白線、黒線……。平成後の来たるべき時代は、どんな色が街を彩るのだろうか。

週刊朝日 2018年3月23日号