磯田:日本人とはどういうものか。負けるとわかっていながら倒れる家のためにあそこまでやるのか。新選組の色とは何か。日野で武士の世に生まれた。愛国心というか愛郷心というか節義を通して最後までその武士の志を保つようにやった。この対極にあるのが坂本龍馬です。龍馬は新時代に必要と勝海舟や横井小楠らを選んだら過去を捨てて愛す。『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』の二つを読むと日本人の両面をとらえて立体的に描かれている。司馬文学の奥深さだと思う。

古屋:『燃えよ剣』が昭和37(1962)年11月、『新選組血風録』が昭和37年5月、そして『竜馬がゆく』が37年6月から連載開始。幕末を勤皇と佐幕の両方から書いています。これはすごいことかなと思います。

磯田:司馬さんの立体史です。

原田:司馬先生は幕末の時代に最大の浪人結社が二つあった、一つが新選組でもう一つが長崎の亀山社中のちの龍馬の海援隊だと書いています。映画の構想を練っていると、龍馬とシンクロさせないといけないので『竜馬がゆく』もまた読んでいます。脇役の土方が冷血で面白い。特に池田屋事件はミステリーです。監察の山崎烝が中に潜んでいたとフィクションで司馬先生は小説を書かれています。ただ、報奨金に名前が載ってないので留守番部隊だったとされています。しかし、確実ではない。どこに真実があるか探るだけでも興味深い。龍馬の側と新選組の側からみるとどう見えるのか。それプラス『胡蝶の夢』の松本良順からみた新選組像もすごいですよ。

浅田:池田屋事件は仕組まれていたと思う。階段を駆け上がっていったのが近藤勇と沖田の2人。永倉新八は2人に負けず劣らずの剣客なのに他流派の神道無念流ですから下で待っている。小説家風の発想ですが、天然理心流の名を上げるために仕組んだパフォーマンスの大成功だった。そうでなければ、師範と師範代が命懸けで飛び込んでいかないと思います。

古屋:新選組のメンバーでいちばん好きなのは誰ですか。

磯田:史料を残した永倉新八とか斎藤一(三番隊組長)が気になります。逆にこの集団がなぜ必要だったか分析して舌をまくのは土方です。当時の武士社会ができなかった情報入手と即時攻撃をした。敵がどこにいるかを探る諜報(ちょうほう)力があって、見つけたらすぐに攻撃する。普通なら警戒する長州藩関係者も入隊させて泳がせ尾行して相手側の拠点を割り出す。会津藩や桑名藩がつかめない池田屋の情報を土方たちだけが知っていた。土方の頭脳は大したものだと思います。

原田:近藤と土方は最初からフライングするつもりだった。会津藩が来る1時間前にやっちゃおうと決めていた。現実に池田屋に後から駆けつけた土方らは会津藩兵を中に入れさせず封鎖しています。

浅田:彼らは名字帯刀を許された農民の出ですからコンプレックスが強かった。土方は武士道のひな型のようなことをしていたのもそのためです。

木内:『燃えよ剣』にも書かれていますが、土方は組織作りの天才だったと思います。ただ、政治色の強い組織ではなく、野性の勘と形骸化した士道の両立で組織を作っていた。隊士たちは土方の勘を理解できなかった。そこの面白さもある。池田屋事件の後に近藤が浮かれてしまった時に試衛館(天然理心流の道場)組の永倉と原田左之助(十番隊組長)ら一団が会津藩に非行五箇条を訴えた。土方は許せなかった。近藤や永倉が江戸に隊士募集に行った翌日に、永倉らと一緒に非行五箇条を出した伍長の隊士を切腹させる。今度こんなことをやったらただではおかないという土方流の粛清です。ただ試衛館組だけは特別に守った。矛盾した粛清ですが隊内を強くまとめていく。思想が二転三転した幕末ですが、一本筋が通ったスポーツ的なチーム作りの面白さを感じます。

原田:思想戦でボロボロになっていくのが近藤です。土方には司馬先生はイデオロギーを語らせていない。喧嘩師の生き様を全うさせている。土方は近藤と芹澤の蜜月を引き離す目的で洋式軍隊を作り取り入れたと思う。『燃えよ剣』ではこのノウハウを会津から学んだとなっていますが、むしろ、当時京都町奉行であった永井尚志に接触したのではないか。蘭学(らんがく)の達人ですから。土方のその後の組織作り、生き様も進んで西洋的なるものを取り入れている。安政の大獄で斬首された越前の思想家、橋本左内にも影響を受けていたように私は思います。

磯田:司馬さんが土方歳三をこんな生き生きと書けた理由は何か。土方が合理的だったことがひとつ。それに思想で動き回らない。土方がいちばん信じているのは剣です。

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