ヒトラーはイタリアのムッソリーニと軍事同盟を締結し、スターリンはヒトラー宛ての手紙で独ソ不可侵条約を承諾した。日独防共協定を締結していた日本は、ナチス・ドイツに軽くあしらわれ、ドイツからアメリカに亡命したアインシュタインが、ルーズベルト大統領に「ドイツよりさきに原子爆弾をつくるべきである」旨の書簡をおくった。

 領土拡大の野望をむきだしにしたスターリンはフィンランド政府に対して外交使節をモスクワに派遣するように要請した。それはフィンランドの半島の一部とペッツァモ港、さらにフィンランド湾に浮かぶ島々を引き渡すことだった。もう、メチャクチャな要求。フィンランドはドイツに助けを求めるが、ナチスはソ連と手を結んでいる。

 ソ連の赤軍部隊が首都ヘルシンキに爆撃を強行して「冬戦争」が始まった。フィンランドの総兵力は二十万にすぎないが、高い文化と果敢な抵抗精神をもつ。ソ連軍を深い森林地帯に誘いこんでおいて、スキー部隊が縦横に走り回ってこれに奇襲を加え、抵抗の余裕を与えず撃破した。

 と、ここで冬季オリンピックのスキー競技のテレビ中継を見て、フィンランドを応援した。ナチスはデンマークとノルウェーへの攻撃を開始したから、デンマークとノルウェーも応援。フィンランドは最終戦で金・銀メダルを獲得しました。半藤昭和史を読んでいる最中ですからね。ゲッペルスがいうように「思考よりも気分」となっちゃう。そのナチスと日本は手を組んでいた次第で、馬鹿なことをしてくれたな。

 フルシチョフが『回想録』で語っている。

「フィンランド人は赤ん坊が歩くのを覚えるよりさきにスキーを覚えた。高速ライフル銃を装備したスキー部隊に、ソ連軍は手も足もでなかった。ソ連兵にもスキーをはかせたがまったく役立たずで、意気揚々と出発した彼らはほとんど還ってこなかった」

 フィンランドへ行ったのは二十年前のことで、北部のラップランドに「一瞬の秋」がある。バルト海に面したヘルシンキから列車に乗って北上し、ロヴァニエミで下車し、さらに300キロ北上するとラップランドのイナリに到着する。

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