いまの時代を生きる人への警鐘を鳴らす(※写真はイメージ)
いまの時代を生きる人への警鐘を鳴らす(※写真はイメージ)

 作家・エッセイストの嵐山光三郎氏が『週刊朝日』連載のコラム「コンセント抜いたか」で、父親から聞かされていた戦中の話と作家・半藤一利氏の著書についてつづる。

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半藤一利著『世界史のなかの昭和史』(平凡社)を五日間かけて読みました。なにしろ、日本国が建国いらいかつて知らなかった国家敗亡を経験した記録です。大日本帝国は国力がまったくなくなるほどコテンパンに叩きのめされた。

 日本軍がハワイ真珠湾を空襲した年に父が召集され、母は静岡県浜松市中の町へ疎開して私を産んだ。祖父が庭に埋めこんだ鉄板の防空壕から這い出ると、旧東海道を荷車に乗せられた死体が運ばれていった。あたりは一面の焼け野原で、進駐軍のジープが町を走り、マンマルの夕陽が焼け跡に沈んでいった。

 召集された父は地雷を踏んで九死に一生を得て、復員した。地雷が仕掛けてあった野に薊(あざみ)の花が咲いていたことから、父は薊の花を嫌った。小便で手を洗った話。川を流れてきた兵士の遺体から何十匹もの鰻が出てきた話。戦争の悲惨な体験談は、父から何度もきかされた。

『世界史のなかの昭和史』は、ヒトラー、スターリン、ルーズベルトと日本のかかわりが語られる。半藤昭和史が他の類書と違うのは、エピソード(お話)が随所に登場することである。日本の指導者の無謀、無智と、民草がその煽動にあっけなく乗って流されていった。

 レーニンは革命によって政権の座についたが、ヒトラーは選挙という民主主義の形式にのっとって権力をとり、閣議決定により「反逆的陰謀を取締る大統領令」を出した。ナチスの宣伝相ゲッペルスは「活字より音声」「理屈よりは印象」「思考よりも気分」が優先される、といった。

 注目すべき年は昭和八年で、日本は国際連盟脱退、ナチス・ドイツも脱退、アメリカのルーズベルト大統領がニューディール政策に着手し、翌年からソ連でスターリンの恐怖政治がはじまる。スターリンの極悪ぶりとヒトラーの凶暴ぶりがこの本に具体的に示され、「そうだったのか」とうなずくばかり。日中戦争がドロ沼化していくなかで、軍部の複雑怪奇で理不尽な暴走がはじまった。スターリンは凡庸な事務官にすぎなかったが、レーニンの葬儀を担当して、トロツキーの跡目をつぶした。ヒトラーも行きあたりばったりの人物だったが独裁者となる。二大極悪人の陰謀が前半の読みどころ。

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