SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機の『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「ヴ」。

*  *  *

「バかヴか問題」に初めて直面したのは、駆け出しの編集者だったときである。

 副編集長がとってきた映画評論の入稿を任されて、小見出しをつけた。

「ヌーベルバーグの時代」

 すると、映画通の先輩編集者にその小見出しを見咎められた。

「ヤマダ君、それはヌーベルバーグじゃなくて、ヌーベルヴァーグだからね」
「ブ?」
「ヴ。ウに点々だよ。それが常識だから」

 編集者たるもの校正は厳格にやるべきだと思っていたが、なぜかこのときは、冷や水を浴びせられたような気分になったものである。

 後日、その先輩が実際にヌーベルヴァーグを見せてくれるというので、彼のアパートに出かけていくと、さすが映画通、本棚は映画雑誌と映画関連の本で埋め尽くされていた。

 
 見せられたのは、ゴダール監督の『ゴダールのマリア』という映画だった。正直に告白するが、なんの映画だかさっぱりわからなかった。

 先輩氏は隣で一所懸命にヌーベルヴァーグを解説してくれたのだが、それがまたちっともわからない。

「……つまり『戦艦ポチョムキン』へのオマージュで……ハスミはすでにそうした地平に立っていたわけだが……カラタニのディスクールによれば……」

 大センセイ、ポチョムキンもハスミもカラタニも知らなかったから、なんだかお前は無知だと言われているようで、ヌーベルヴァーグがすっかり苦手になってしまったのであった。

 以来、「バかヴか問題」に過敏になって、「ヴ」に出会うたびに原語を調べる癖がついた。そして、長年にわたる調査の結果、おおむね、原語の綴りがvの場合は「ヴ」、bの場合は「バ」に変換されるケースが多いことがわかってきた。ただし、そこに明確な法則があるわけではないのだ。

 
 たとえば「バかヴか問題」の横綱、violinである。「ヴァイオリン」と表記されることが多いが、「バイオリン」と書いてあっても、強い違和感はないのではないか。

 ところが、very goodが「ヴェリー・グッド」と書いてあったら、違和感があるはずだ。いやいや、それはviじゃなくてveだからでしょ? という御仁には、televisionについて問いたい。綴りはviだけど「テレヴィ」と書く人は、ほとんどいない。つまり、常にviが「ヴ」に変換されているわけじゃないんである。

 ならば、『新世紀エヴァンゲリオン』はどうか。正式ロゴは「EVANGELION」であり、カタカナ表記は「ヴ」が用いられているわけだが、この場合、「バ」に置きかえても差し支えないかというと……。

『新世紀エバンゲリオン』

 とたんに、バカっぽく感じられはしないだろうか。特に「バンゲリ」だけを取り出してみると、バカを通り越して下品ですらある。

 
『新世紀エヴァンゲリオン』には熱狂的なファンがいて、彼らは「EVA」と略称することが多いが、この場合もカタカナ表記をするなら、「エバ」ではなくて「エヴァ」であろう。

 ことここに至って、大センセイ、ある芸能人のことを思い出すのである。それは『8時だョ!全員集合』に出ていたゴールデン・ハーフの「エバちゃん」だ。彼女はおそらく「Evaちゃん」だったのだろうが、断じて「エヴァちゃん」などではなかった。

 バかヴか。それはたぶん、気取りの問題なんである。

週刊朝日 2018年3月2日号

著者プロフィールを見る
山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

山田清機の記事一覧はこちら