東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
巨人菅野のインスラはV3目指す広島打線の脅威となるだろう
巨人菅野のインスラはV3目指す広島打線の脅威となるだろう

 西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、「インスラ」が巨人・菅野の新たな武器になるという。

【写真】ブルペンで投げた巨人の菅野投手

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 巨人の菅野が宮崎でのキャンプ最終日となった2月13日にブルペン投球を行い、右打者への通称「インスラ」を重点的に試した。

「インスラ」とはインコース(内角)へのスライダーのこと。通常、スライダーは右投手なら、右打者の外角へ逃げていく軌道を描くため、ストライクゾーンからボールゾーンへと逃げる外角に使われる。それを内角に意図して投げようということだ。右打者からすれば、一度体に向かってくるように感じて体が浮いてしまう。そこからストライクゾーンに入って、ストライクとなる。まさに不意打ちとなる球。例えば、無死三塁、1死三塁などで、打者を追い込み、三振がほしい、バットに万が一でも当てさせたくない、といった時には有効になる。

 私も現役時代、阪急が全盛期だった1970年代後半に「何とかしないと」と考え抜いて、インスラを使った。もちろん、私は菅野ほど球威があったわけではないが、右打者には内角のシュートと外のスライダーの内外角で打ち取るタイプで、右打者からすれば「内角は直球、外角はスライダー」という形で待たれていた。そこに内角に変化球が来る。しかも、一度は体に当たりそうな軌道になるから、有効ではあった。打者がバットを動かすことすらできずに、見逃し三振に打ち取った時は快感だった。菅野にもぜひ「インスラ」の快感を味わってほしい。

 ただ、これは精密な制球力が必要。少しでも高さやコースを間違え、肩口から真ん中に入る球になれば、打者にとって絶好球となる。曲がりも重要だ。いかに打者の手元で鋭く曲げるか。打者に近い位置でリリースできる投手じゃないと、打者に早く見切られてしまうことにもなる。

 私の場合は、右打者のバッターボックスのラインを目標にし、ボール1、2個分曲げ、ホームベースの捕手寄りの角をかするようなイメージで投げた。手先も繊細でないと投げられないが、多彩な変化球を高度なレベルで操る菅野なら絶対に武器になると思う。

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東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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