黒柳徹子「ベストテンは特別。私たちも、歌手の方も、命懸けで出ていました」

週刊朝日
 1978年1月に放送が始まった伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS系、以下ベストテン)は、“嘘のないランキング”が視聴者の心をわしづかみにし、日本の音楽シーンを変えた。生放送ならではのハプニングや、垣間見える歌手の素顔、司会の黒柳徹子さんと久米宏さんの弾丸トークもまた人気の理由だった。黒柳徹子さんに、40年を経たいまだから明かせるエピソードや思いを聞いた。

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「歌手の方たちが毎週必ず放送に間に合うように現場にいらして、生本番がスムーズにいったっていうのは、奇跡的だなと思います」

 黒柳徹子さん(84)は、ベストテン放送開始からの約12年をそう振り返る。

――ベストテンの司会をされることになった経緯を教えてください。

「はじめに、当時ディレクターだったTBSの山田修爾さん(のちに番組プロデューサー)から、ランキングでやる生放送の歌番組なんですが、って話をいただいたんです。そのころ久米宏さんが永六輔さんのラジオ番組に出ていらしたのを聞いていて、司会は久米さんと一緒にやってもいいかとお聞きしたらいいと言われたので、面白そうだなと思いました。

そのときに、順位はその日の都合で操作しないでほしい、本当の1位じゃない人を私に1位と言わせないでください、ってお願いしたんです。

 でもそのために、しょっちゅう視聴者のみなさんに謝ることになっちゃって。テレビにはお出にならないという方が何人もいて、はじめはみんなどうしようかと思ったんですけど、でもそれこそがベストテンの人気の理由だったと思うんですよ。公正なランキングにこだわったことが、珍しいな、と思っていただけたんだと思います」

――12年間で、とりわけ印象に残っていることは?

何事もなく毎週ずっと続けられたことが奇跡的だと思っています。ご存じの通り、中継も多くて、駅で歌ってもらったりしたので、私は毎週のように、「押さないでください!」「けが人が出たりすると番組ができなくなりますから!」って叫び続けていたんですよ(笑)。当時はベストテンやっていると言ったらもう大騒ぎでしたから。

――出演された歌手のみなさんとのやりとりで、印象に残っていらっしゃるエピソードはありますか?

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