実は、小沢氏が民主党代表になったとき、私は小沢氏から「仙谷由人氏を幹事長にしたいので仙谷氏に頼んでほしい」と求められた。はっきり言うと、小沢氏の民主党入りに公然と反対したのは仙谷、枝野両氏であり、小沢氏は私が両氏と親しいのを知っていた。私は小沢氏の決断をおもしろいと思い、仙谷氏に直接、打診した。仙谷氏は仰天したが、長く考え、「枝野に聞いてくれないか」と言った。枝野氏が賛成すれば幹事長を受けるというわけだ。そこで枝野氏に電話で問うた。枝野氏も仰天し「そんな大変なこと、即答できない。一晩考えさせてほしい」と言った。翌日、「仙谷氏が受けると言うなら仕方がないが、僕に問われれば反対だ」と答えた。仙谷氏に伝えると「それでは、小沢さんにはなかったことにしてほしいと言ってください」と頼まれ、そのとおりを伝えた。

 つまり、枝野氏は民主党で最も小沢氏を嫌っていた人物なのだ。その枝野氏と小沢氏が会談した。もちろん、私は両氏に直接会い、ホンネを確かめた。19年の参院選で、なんとしても自公を過半数割れにすると、2人とも強い口調で語った。

週刊朝日  2018年2月9日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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