中嶋が亡くなってから初日の幕が下りるまで、涙が出なかったんです。でも終演後、共演していた佐藤B作さんが楽屋に来てくださって、彼の膝を借りて号泣できました。「なんでこんな日にこんな格好して、こんなところにいなくちゃいけないの」と。そのときに私の周りにいた人たちが、「真知子さん、涙が流せてよかった」と言ってくれたんですよ。本当にいろんな方に支えていただいて、今ここにいられるんだって思います。

──舞台の休演日の12日に、中嶋さんの葬儀が行われました。

 私の所属事務所の社長や中嶋のマネジャーが全部手配してくれました。私はただ毎日明治座に通って、「これでいい?」「写真はどれにする?」という質問に答えていただけ。周りの方の力で彼を送ることができました。役者としての我々を支えてきてくれた方々が、すべてやってくださった。だからこそ、役者としての自分を放棄したらいけないという思いもあります。

──舞台に立つことが、鷲尾さんの支えになっている?

 まだ自分のなかではっきりとした結論は出せないのですが……、中嶋が亡くなった翌日、初日の舞台に立たせていただいたからこそ、今こうやってお話ができているような気がします。もしあの舞台を拒否していたら、今、自分はどうにもならない状態でいるんじゃないかなと。

 中嶋が亡くなってから、3本の舞台を踏ませていただきましたが、役者としての自分と、彼を失ったただの女としての自分は分離していて、いまだに折り合いのつかないままなんです。二人暮らしでしたので、彼とは毎日、「今日はこういうことがあった」「ああいうことがあった」と話していましたから。ただのオジサンとオバサンが二人で過ごしてきた時間……、そういう時間は完全に失われてしまったので、喪失感はとても大きい。でも、それを役者としての時間が支えてくれているのかもしれません。

──昨年12月に出演された「THE BEAUTY QUEEN OF LEENANE」は、大きな反響を呼びました。中嶋さんと鷲尾さん、お二人にとって特別な思いがある舞台だったのでは?

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