「売上の入金が徐々に減り、17年5、6月にはゼロになった。『5月に税金を払って現金がなくなった』という説明でした。女性専務が自腹で一部を払うなどしてくれたが、半年ほど前に商品をすべて引き上げた。成人式の騒動を知って専務の携帯に電話したが、すでに解約されていた」

「野望」の原点は、どこにあったのだろうか。篠崎氏は茨城県日立市出身。1982年に県立日立第一高校の定時制を卒業している。同級生が語る。

「細見のオカッパ頭で、どちらかというと穏やかでシャイな性格。ギター好きで、学校の行事ではフォークソングを弾き語っていた。昼は楽器販売関連の仕事をしていたと記憶しています。実家は父親が一人で牛乳屋を営んでいて、生活は楽ではなかったでしょう。悪いことをするようなタイプではなかったので、今回のニュースを見て驚いています」

 篠崎氏の行方の手がかりがつかめないかと実家があったという日立市内の住所を訪ねたが、すでに更地の駐車場になっていた。近所の住人が言う。

「父親が一人で自転車で牛乳配達をしていましたが、体の調子が悪くなったようで20年くらい前に廃業して、奥さんとともに引っ越していきました。かなり築年数の経った木造の平屋の借家で、生活は楽ではなかったと思います。息子さんがいたかは記憶にありませんね」

 一家を知る人物によると、洋一郎氏には妹がいたが、洋一郎氏は卒業後、ほとんど家に寄りつかず、父親は「息子からは連絡もなく、どこで何をしているかさっぱりわからない。困ったものだ」と嘆いていたという。牛乳店を閉めた後、両親は水戸市内の娘の家に身を寄せていたというが、数年前からは夫婦で日立市内の団地に引っ越していた。団地の同じ棟の住人がこう語る。

「越して来たのは3年くらい前かな。夫婦で質素に暮らしていましたよ。娘がいるとは言っていたが、息子さんのことは聞いたことがなかった。お父さんは1~2年ほど前に病気になり、9カ月くらい入院した後、亡くなったそうです。奥さんはその後、引っ越してしまい、今どこに住んでいるかは知りません」

 結局、生まれ故郷の町では、現在の篠崎氏の痕跡をつかむことはできなかった。多くの被害者を生み出してしまった今、どこで何をしているのだろうか。(本誌 小泉耕平)