【文豪の湯宿】夏目漱石が生死の境をさまよった「修善寺の大患」の舞台 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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【文豪の湯宿】夏目漱石が生死の境をさまよった「修善寺の大患」の舞台

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2方向に山が見えるこの部屋を漱石は「寝ていると頭も足も山なり。好い部屋ならん」と気に入っていた(撮影/遠崎智宏)

2方向に山が見えるこの部屋を漱石は「寝ていると頭も足も山なり。好い部屋ならん」と気に入っていた(撮影/遠崎智宏)

見通しのいい廊下は回復期の漱石も好んだ(撮影/遠崎智宏)

見通しのいい廊下は回復期の漱石も好んだ(撮影/遠崎智宏)

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる連載「文豪の湯宿」。今回は「夏目漱石」の「湯回廊 菊屋」(静岡県・修善寺温泉)だ。

【写真】漱石が好んだ見通しのいい廊下

*  *  *
 明治43年6月、夏目漱石は胃潰瘍の治療で1カ月ほど入院した。退院後の8月6日、医師の勧めもあり、養生のため修善寺温泉・菊屋を訪れる。2階「梅の間」での養生が始まった。

 だが容体は悪化の一途をたどる。到着3日目には床に臥し、胃痙攣や胆汁の嘔吐を繰り返して、24日の夜8時に4度目の吐血。脳貧血から意識を失うほど危険な状態となった。これが有名な「修善寺の大患」だ。

 ところが、生死の境をさまよっていた漱石自身はこの大吐血を、随想「思い出す事など」に、「まあ可(よ)かったと思った」と記している。

〈日頃からの苦痛の塊を一度にどさりと打ち遣(や)り切ったという落付(おちつき)をもって、枕元の人がざわざわする様子を殆(ほとん)ど余所事(よそごと)のように見ていた。〉

 昏睡する直前にもかかわらず冷静だったのがいかにも漱石らしい。大文豪の見立て通り、この日を境に病状は快方に向かい、10月11日には東京への帰還が叶う。東京に発つ日の朝、2カ月余りの闘病を見守った菊屋の主人は、お祝いに甘鯛の尾頭付きを振る舞ったという。

 梅の間は今も「漱石の間」として宿泊客を迎えている。(文=本誌/鈴木裕也)

■湯回廊 菊屋(ゆかいろう きくや) 静岡県伊豆市修善寺874-1

週刊朝日 2018年1月19日号


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