「常葉は美貌によって宮廷に拾い上げられた娘さんです。彼女はそれをわきまえていた。子供たちを守らなければならなくなったとき、自分の姿を鏡で見ながら、大丈夫、私はまだいける、清盛なんかイチコロにしてやるわ、と思ったのでは」

 そう感じたのは、東京のテレビ局の楽屋でアイドルの女の子たちの振る舞いを見たときだったという。

「常葉に対して、むごい見方のような気もします。ここには、私に憧れだけ抱かせて接近を許さなかった美人たちへの恨み、つらみが込められているのではないでしょうか」

 権力と女性をめぐる考察はさらに続く。

「一般に性的な乱れは権力の腐敗として片づけられます。でも、性的な乱れへの期待自体を権力の活性化につなげるタイプの権力もある。首都東京でも、もし銀座がなければ地方からの陳情団の数は半減していると思います」

 井上さんは自分の手法がドナルド・トランプに似ていると言う。敵を作り、みんながおもしろいと思うことを書いて伸ばしていく。ただ、トランプになるには嫌われる覚悟が必要だ。人とは違うこと、人が書かないことを書けるのはポストに恵まれたからだと本人は言う。25歳の若さで京都大学人文科学研究所の助手になり、32歳で現在の勤め先の助教授になった。

「口幅ったい言い方ですけど、立場の強い自分が学会の主流に歩み寄ったらいかんだろう、学会人が書けないことに挑む、人民に届くことを書くのが自分の務めだろうと。これが研究所ではなく普通の大学勤めだと、弟子の就職口の上司からの評判を気にしないといけないから、みんな自粛するんです。私は幸いひるむ必要がないところにいるので」

 本業の研究では、建築史と日本文化の重なる部分に光を当てる。日本人はエゴを抑えて全体の調和を重んじるのに対して、西洋人は空気を読まず、自己主張すると言われる。

「なのに、見てください。日本の街並みはまったく空気を読んでいない。ヨーロッパの建築家は大阪の道頓堀を歩くと、ここにこそ表現の自由があると言う。パリやウィーンにあの自由はありません。ヨーロッパのほうがはるかに全体主義的です。日本人は主体性を抑えるという議論を、街並みを通して考えたい」

『京都ぎらい』がヒットして、京都に関する取材、原稿依頼が増え、京都新聞では毎日連載を書いている。2作目の官能篇をステップに「ローマの塩野七生、京都の井上章一」の時代が来るかもしれない。(仲宇佐ゆり)

週刊朝日 2017年12月29日号