そして書き上げた2作目の官能篇は、やはり井上さんにしか書けない京都論になっている。自分が年上の女性を好むようになったいきさつに始まり、若い女性観光客、尼寺、歓楽の都と呼ばれた時代など、女性と京都にまつわる話がつづられ、「武士はきれいなお姉さんで動いた」という論が展開される。武士たちが憧れた京都の文化の実態は宮廷の女たちであり、武力を動かしたのは予想以上に彼女たちだったというのだ。

「どうして武士が京都の宮廷警備の命に唯々諾々と従ったのか。一般には官職がもらえるからだと言われてきました。ですが私は違うと思っていました。それだけではないだろう。宮廷のすだれの奥から垣間見えるお姉さんたちも原動力だったのではないか」

 たとえば、地方の武士が京都に4、5年滞在して、宮廷の末端にいる女性を射止めて帰る。官位が上がることより、きれいな女性を連れて帰るほうが地元の人にはわかりやすく、尊敬を得られたのではないか。

 宮廷から来た女性を見たくて、領民はさまざまな作物を届けに来る。彼女は地元の女性に恋の手ほどきをしたかもしれない。そんな想像が井上さんの脳裏に広がった。

「1960年代の終わりごろ、海外渡航がまだ大変だった時代に、フリーセックスという情報を鵜呑みにした男たちがスウェーデンを目指しました。お互い好きならためらわないというだけで、好きでもない人とするわけではないと現地で気づいたと思いますが、引き付ける力はあった。京都に権力があるとしたらスウェーデンと同じ。おっさんはお姉さんで動く。これは私が生きてきた実感です」

 本の中で井上さんは「太平記」「とはずがたり」「平治物語」などの古典文学から女性に関するエピソードをひもといていく。

 その一つに常葉(ときわ)という美女の話がある。市中から宮廷に召し抱えられ、源義朝に下げ渡されて3人の子を産むが、平治の乱で義朝を亡くし、平清盛にすがる。「敵将の清盛にすがるとは貞操観念に欠け、人の道にもとる」「母として子供を守るために仕方がなかった」などと言われるが、井上さんはこう語る。

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